瀧神社本殿
国登録の年月日
平成25年12月24日
所在地
新城市大海字宮ノ前
年代
江戸中期
登録理由
本殿は豊川沿いの右岸に位置し、南東を向いて建つ。造りはこけら葺きの一間社で流造である。垂木は二軒で、蟇股(かえるまた)に彫刻を施すなど装飾性が高いと評価される。
(登録理由:国土の歴史的景観に寄与しているもの)
詳細内容
構造、形式及び大きさ
木造平屋建、板葺、2.4平方メートル、寛文12年(1672年)
内容
瀧神社は敷地の東側に豊川が流れ、川に下ると滝が見える。延久年間(1069年から1073年)に瀧大明神を祭ったことが瀧神社の始まりとされている。
また、棟札が残されており、江戸時代のものが4枚、大正時代が1枚で、それぞれの時期に大きな改修があったことがわかる。このうち大正時代のものは、現在本殿を覆っている覆殿や渡殿等の改築工事に関するものである。江戸時代の棟札については、明和6年(1769年)の棟札に屋根改修の記録がみられる。それ以前の元和5年(1619年)、寛永15年(1638年)、寛文12年(1672年)の改修等を示す3枚の棟札に「瀧大明神守護所」や「瀧大明神」を建立したという記載を見ることができ、この時期に現在の瀧神社本殿が建てられたと考えられる。
本殿は一間社流造で、こけら葺きとする。軒を二軒[1]垂木、繁垂木[2]として装飾性を高めている。正面に5段の木階があり、それを上がると浜縁があり、社殿となる。向拝[3]部分の柱は角柱で柱梁の木鼻[4]に象鼻を用いたり蟇股(かえるまた)[5]の内部に彫刻をあしらったり、向拝と本殿を海老虹梁[6]でつなぐなどの装飾がみられる。また、向拝部分は角柱であるが社殿部分は白木の丸柱とする。
[1] 二軒:軒を支える垂木が上下二段からなっている軒。
[2] 繁垂木:間隔を詰めて並べた軒先の垂木。
[3] 向拝:社殿(本殿や拝殿)の入り口に屋根(庇)が張り出した部分のこと。
[4] 木鼻:木端ともあらわされる様に「木の端」を意味しています。複数の縦柱を横に貫ら抜いている柱(頭貫:かしらぬき)や虹梁(こうりょう)等の端に付けられた彫刻のこと。
[5] 蟇股:神社仏閣で、高さの異なる二つの平行した横架材の間につき、 上の荷重を下の横架材に伝達するための部材。かえるのまたのような形をしている。
[6] 海老虹梁:エビのように湾曲した虹梁。側柱と本柱など高低差のある所に用いる。
お問い合わせ
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