長篠城跡(ながしのじょうあと)
種別
国指定史跡
指定年月日
昭和4年12月17日
所在地
新城市長篠字市場、岩代 地内
説明
長篠城は、永正5年(1508年)田峯菅沼氏の一族、菅沼元成によって築かれました。はじめ今川氏に属し、その後松平元康(家康)へ、そして元亀2年(1571年)武田氏へ属しました。その後天正元年(1573年)には、再び家康が長篠城を奪回しました。
天正3年(1575年)奥平貞昌(信昌)を城主とし援兵を入れて武田勝頼の侵攻に備えました。5月、武田軍長篠城を攻撃、21日援軍の織田・徳川と設楽原で戦い、武田軍大敗。翌年、奥平信昌は城を郷ヶ原へ移し、長篠城は廃城となったとされています。
立地は、豊川と宇連川の合流点にあたり、自然の地形を巧みに利用した後ろ堅固な自然の要害となっている。戦国末期の城郭の遺構(大型土塁や巨大な堀跡)が今もよく残っています。本丸跡を中心に約35,500平方メートルが史跡指定地となっています。
周辺には、鳥居強右衛門磔死の碑・武田勝頼本陣跡の医王寺・武田氏宿将の墓など「長篠の戦い」に関連した史跡が数多くあり、歴史を動かした合戦の全貌を垣間見ることが出来、長篠城址史跡保存館が中心となってその資料保存と研究に努めています。
大土塁と内堀
長篠城解説パンフレット
お問い合わせ
新城市 教育部 生涯共育課 長篠城址史跡保存館
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ファクス:0536-32-0162
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