黒漆金銅装宮殿(鳳来山東照宮本殿納置)
指定種別
愛知県指定有形文化財(工芸)
指定名称
黒漆金銅装宮殿(鳳来山東照宮本殿納置)
くろうるし こんどうそう くうでん(ほうらいさん とうしょうぐう ほんでん のうち)
指定年月日
令和4年1月28日
所在地
新城市門谷字鳳来寺
数量
1基
寸法(センチメートル)
- 総高220.7
- 屋蓋幅244.5
- 屋蓋奥行146.3
時代
江戸時代初期
説明
鳳来山東照宮は、岡崎城主の松平広忠が夫人の於大の方と共に鳳来寺に参籠祈願して、嫡男の家康が誕生したという由緒から、3代将軍家光が鳳来寺諸堂の再興と合わせ東照宮の造営を計画したことに始まる。慶安三年(1650)七月に釿始め、同四年四月に家光が没した後も4代家綱が事業を引き継ぎ、同年九月十七日に社殿の完成となった。
黒漆金銅装宮殿は東照宮の本殿内陣に置かれ、江戸城紅葉山御殿から移したとの社伝がある。内部に帳台を置き、木造東照権現像を安置する。
本宮殿は木造、入母屋造、妻入、木瓦葺で、総体に黒漆を塗り、夥しい数の金銅製錺金具を打つ。
飾金具にみる三葉葵紋の茎の形状や葉の葉脈表現などから、慶安四年(1651)完成の本殿よりも相対的に古い時期の製作を窺わせる。本殿内陣の扉に比して宮殿は不釣り合いに大きく、大棟後方の本殿桁に掛かる部分が大きく切り欠かれ、金具も不自然な切り欠きを行っていることも総合すると、宮殿が江戸城紅葉山東照宮から移設されたとの社伝は信憑性が高いと考えられる。また、空殿内部に置かれた牡丹唐草文蒔絵螺鈿帳台の浜床裏面には「慶安辛卯 出納内蔵年預職在」という朱漆銘が認められる。この出納内蔵年預は、朝廷の蔵人所出納の実務に当たった平田職忠(1580-1660)を指し、『平田職在日記』によると天台宗の天海との縁を介して江戸幕府との関係も深め、紅葉山、久能山、日光、上野などの東照宮遷宮に関与したことが窺える。このため、この朱漆銘から朝廷役人の平田職忠が鳳来山東照宮の遷宮にも関わったことを物語り、平田の職掌からして、紅葉山東照宮から鳳来山へ宮殿を移管した際の確認の銘記という解釈も成り立つ。
以上のことから、江戸時代初期の霊廟荘厳の典型を示し、現存する東照宮関係の宮殿(厨子)でも非常に早い段階の作例である可能性が高く、近世工芸史の極めて重要な基準作と評価される。また、鳳来山東照宮の造営経緯を具体的に物語る史料としてもその価値は大きい。
宮殿の構成要素として、帳台、東照権現像、半畳・茵・台框も含まれる。
- 牡丹唐草文蒔絵螺鈿帳台:1基
高104.3、幅91.3、奥行63.8 - 木造東照権現坐像:1躯
総高(纓先)39.5、高(冠頂)33.3、幅(袖張)46.0、奥行26.8 - 刺繍三葉葵紋茵:2枚
上:縦30.5、横40.1、厚2.0
下:縦37.0、横47.0、厚2.0 - 半畳:1基
幅44.8、奥31.2、高7.0 - 金銅装金梨地螺鈿框座:1基
幅(下框)48.6、奥行(下框)38.2、高19.7
お問い合わせ
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