戦国時代に織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼が戦った長篠・設楽原の戦い。この戦いはたくさんの火縄銃を使ったということが有名ですが、勝敗の決め手となったのは馬防柵でした。設楽原の中央を流れる連吾川沿いに全長2キロメートル、三重で作られていました。この材料である丸太を岐阜や岡崎から連合軍の兵一人一人が1本ずつ運んできたと伝えられています。
この馬防柵のおかげで、連合軍の鉄砲隊は安心して火縄銃を撃つことができ、一方、武田軍は連合軍の陣地になかなか侵入できませんでした。
現在、設楽原に地元の人々の手によって馬防柵が再現されています。戦国時代に織田信長・徳川家康の連合軍と武田勝頼が戦った長篠・設楽原の戦い。この戦いはたくさんの火縄銃を使ったということが有名ですが、勝敗の決め手となったのは馬防柵でした。設楽原の中央を流れる連吾川沿いに全長2キロメートル、三重で作られていました。この材料である丸太を岐阜や岡崎から連合軍の兵一人一人が1本ずつ運んできたと伝えられています。
この馬防柵のおかげで、連合軍の鉄砲隊は安心して火縄銃を撃つことができ、一方、武田軍は連合軍の陣地になかなか侵入できませんでした。
現在、設楽原に地元の人々の手によって馬防柵が再現されています。
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