鳳来寺
大宝3年(703年)、利修仙人によって開山された真言宗の由諸ある寺院です。江戸時代には徳川家康誕生ゆかりの地として幕府の厚い保護を受けました。当時は、21院坊、寺領1350石という盛大さを誇っていました。
鳳来寺と利修仙人
利修仙人は、山城国に生まれ、現在の峰(鳳来地区)に移り住み、霊木7本杉の1本から鳳来寺本尊となる峯薬師如来をつくりました。
その後、百済の国で仙術や仏教を学び、鳳凰に乗って帰国し鳳来寺山中に3匹の鬼を従えて住んでいたといわれています。
文武天皇が病にかかったときには、鳳凰に乗って都に赴き、祈祷によって天皇のご病気を治したため、大宝3年(703年)に天皇からお礼に寺を建てられ、その寺を鳳来寺と命名し鳳来寺が誕生したとされています。
鳳来山東照宮
慶安元年4月、徳川家光が日光の東照宮に参詣した時、東照宮縁起に「家康の父君広忠公が、良い世継ぎを得たいと思われ、北の方(於大の方)とともに鳳来寺に参篭し、祈願したところ、その効あって家康が授かった」と記されてあるのに感銘をうたれ、鳳来山東照宮の建立を発願され、慶安4年4代将軍家綱の時代に完成しました。
建立後は神仏一体の制のもとに祭事その他一切を鳳来寺が行ってきましたが、明治5年の神仏分離令により独立し、現在日光・久能山とともに、日本三東照宮と称されています。
仁王門(鳳来寺山門)
鳳来寺山表参道の石段を登り、途中にある鳳来寺の山門。
聖武天皇の御病気の折、光明皇后は鳳来寺の薬師如来に病気平癒のお願をかけられたが、天皇が御全快になったのでそのお礼に、皇后自ら「鳳来寺」の三字を書かれたといわれているものである。現在かかっている額は、改修の時作成されたレプリカである。