太田白雪(おおた はくせつ)
「新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川に 太田白雪」
白雪は寛文元年(1661)年3月5日、太田弥平太重長の4男として、新城町(今の新城の町並)に生まれました。姓を太田、通称を金左衛門長孝、また、有髪散人、密雲峰、周白雪などといいました。生家の屋号は升屋といい、質物、酒造、味噌、米穀、茶、塩などを手広く扱う商家であり、また庄屋も勤める当地の名家でした。
白雪の祖父も父も俳諧をたしなんだので、白雪も若いころから俳諧を好んだようです。元禄4年(1691)年10月、松尾芭蕉の訪問を受け鳳来寺へ案内したのが31歳の時です。これ以後白雪の俳諧への精進はめざましく、地方俳壇の中心となって活躍をしました。白雪の発句は約200句にのぼっています。
白雪は不運にも、親、兄弟、子供に早く死別し、老後は全く孤独の生活であったようです。享保20年(1735)年6月7日、辞世の句を残し75歳で死去しました。
※「前の小川」は、新城の町中から幽玄川まで流れていたようである。元は新城城の北方の片山地区から城の堀へ引き入れるために造られたとされています。
太田白雪資料に関する市指定文化財
太田白雪自筆著書
指定年月日:昭和33年4月1日ほか
名称 | 成立 | 内容 |
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白雪勘定帳 | 元禄13年(1700年) | 棚卸帳 |
きれぎれ | 元禄14年(1701年) | 秋の巻 |
三河小町 | 元禄15年(1702年) | 俳句集 |
うたひの言蜑のる | 寛永2年(1705年) | |
聞書 | 寛永3年(1706年) | |
うたひたらちね | 正徳5年(1715年) | |
下服いなあそび | 享保3年(1718年) | 源氏物語湖月抄の抜書 |
巡礼歌抄 | 享保6年(1721年) | 郷土関係 |
源氏物語聞書 | 享保9年(1724年) | 「さかき」より「せき屋」に至る7巻の抜書 |
歌道ひなあそび | 享保10年(1725年) | |
鄙あそび(4) | 享保10年(1725年) | |
ひ那あそび(5) | 享保10年(1725年) | |
雛遊び(6) | 享保10年(1725年) | |
非名あそび(7) | 享保10年(1725年) | |
続柳陰 | 享保11年(1726年) | 近隣地を記述した地誌 |
のぶたか物語 | 享保12年(1727年) | 写本 |
ひなあそび(1) | 享保13年(1728年) | |
ひなあそび(2) | 享保13年(1728年) | |
ひなあそび(3) | 享保13年(1728年) | 和訳、八重垣より抜書 |
雛遊(8) | 享保14年(1729年) | 伊勢法楽和歌千首栞上下巻の写本 |
ひなあそび(9) | 享保14年(1729年) | 「新名題和歌集」等の抜書 |
新城聞書 | 享保14年(1729年) | 郷土史 |
新城雑旧記 | 享保16年(1731年) | 新城町を記述した地誌 |
三州観音道場来歴 | 享保16年(1731年) | 三河の三十三番札所の来歴を記述 |
集書 | 享保20年? | 遠江から郷土の史跡等を記録 |
三河国聞書 | 三河の領主などを記述 | |
遠江国聞書 | 遠江の城を記述 |
太田白雪画像(上画像参照)
指定年月日:昭和33年4月1日
法量:49.6センチメートル×37.2センチメートル
表装:軸装
内容:この画像には、知信と記されている。知信の詳細は不明であるが、この地の旗本であった菅沼氏の家臣、皆川五左衛門春倫(1676年~1751年)が画筆を能くしたと伝えられており、年代的に推察して春倫が描いたものとされている。
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