平成25年度 新城城跡(新城陣屋跡)の発掘調査

歴史

新城城は今から400年以上前の天正4年(1576)に築城され、城主は長篠の戦いで功績のあった奥平信昌が初代を務めました。

その後、数人の城主交代を経ながら、慶安元年(1648)に野田城主の子孫である菅沼定実が7,000石で入城したことから、いわゆる大名の居住地とされる「お城」から旗本の居住地の「陣屋」に呼び名が変わるようになりました。そして、明治元年(1873)まで菅沼氏が領主として、この新城地域を治めました。

「新城(しんしろ)」という地名の由来は、長篠城に対しての新しい城という意味であるとも言われています。

お城の様子

現在、この城跡の場所に小学校が建てられています。城郭の範囲は、その運動場を中心にした100m四方に城郭と陣屋が重複し、その南面を除く周囲を家臣団屋敷が囲み、地籍図等から500m×400mの範囲に広がるものと推定されています。

幕末頃の様子を描いた絵図には、南側を開けたコの字状に土塁と堀が方形に巡り、その東側に喰い違い虎口を有する広場が設けられています。

今までの発掘調査成果

今までに2度の発掘調査が行われています。

その成果は、戦国時代に遡る遺構は確認できず、江戸時代の掘立柱建物や穴倉もしくはゴミ穴と考えられる土坑、堀跡が見つかっています。

現地説明会の様子 現地説明会の様子

発掘調査

表土掘削

新城城跡地内には中部電力の鉄塔が建てられています。

今回、この鉄塔の建て替えに伴い記録保存のための発掘調査を行うこととなりました。

工事範囲を発掘調査にするにあたり、まずは重機を使って土器が混じっていない土を取り除いていきます。

重機の様子 重機を使って掘削する様子

今回、調査区の西南コーナー付近で土塁の基底部と思われる土の層が発見されました。

重機背面の高まりは土塁跡で、この上に鉄塔が建てられています。つまり、土塁の裾付近が今回の発掘調査の対象地となっています。

土塁跡? 画面中央の一直線状に見える堆積土が土塁跡?

発掘調査作業 その1

 作業の様子 調査区の壁を整える作業の様子

 重機で粗方掘った後は、人力作業になります。

まずは調査区の壁を垂直にきれいに均していき、土の堆積層を分ける線を入れて分層します。

今回、土塁跡と思われる付近の土を分層していくことで、人為的に積み上げた堆積土であるのか、自然に上から下へ流れ込んできた土砂なのか、埋まっていたガラスや瓦片などの遺物の年代から何時ごろこの堆積土が形成されたのか、といった様々なことを読み取り・分析して、土塁跡で良いのか、そうでないのか、また、どこからどこまでが土塁を構築していた土の部分になるのかを判断していきます。

発掘調査作業 その2

 作業風景  足元の清掃作業風景

 壁を整えた後は、足元の清掃を行います。草刈鎌を使って、地面を薄く剥ぐように削っていきます。

検出状況 検出された遺構

きれいに地面を削っていくと、色の違いが鮮明に分かります。

上画像の黒い部分が建物や柵の柱などを建てるために掘った部分と考えられ、およそ2mの間隔で確認されました。

今後、この黒い箇所を手持ちスコップで掘り下げていきます。 

調査区全景 調査区全景

調査区は約12m四方です。画面上方の高まりが土塁?の一部で、黒っぽい斑点部分が遺構になります。 

 

今回、これまでの作業においては、土器などの遺物が発見されていません。

今までの調査成果から考えると、新城城の時期、つまり江戸時代以前の戦国時代まで遡る可能性も考えられます。

今後の調査の進展が楽しみです。

 発掘調査作業 その3

杭の設置 杭の設置(画面手前の木杭)

重機で表土を剥がした後は、発掘調査の記録図面を作成していく上で基準となる杭を設置します。

杭には世界測地系に則した座標軸や標高が与えられています。

今回は、調査区内にコンクリートピンで、区外を木杭で設置しました。

調査の様子 出土遺物の取り上げ

基準となる杭が設置されると調査区を小さく分けることができます。

その限定された区域の中で出土した遺物を取り上げます。

上画像は、出土した遺物をアミカゴに入れて作業を進めた様子です。

拡大写真 鉄クズ?

発見された遺物は、土器ではなく何だか良く分からない鉄屑のような塊でした。

発掘調査作業 その4

確認された遺構 土塁の下から新たな遺構を確認

土塁基底部の一部と考えている土を取り除いた下から、新たな遺構が検出されました。

1間四方の掘立柱建物?と3間以上を測る一列の並びの柱穴?と思われる遺構です。

掘立柱建物は、櫓跡になることを期待しながら、今後の作業を進めていきます。

未だに時期を決めるような土器などの遺物が発見されていません。

目を皿のようにして、土器発見に心がけて作業を進めていきたいと思います。

このままでは、何時代の遺構であるのか決定打がなく困ってしまいます・・・。

 遺構の拡大 一間四方の掘立柱建物跡?

 円形の黒い部分が遺構です。

発掘調査作業の終了

遺構をすべて掘り上げ、平面の配置図や土層の観察記録などの必要な図面を作成し、調査記録を取り終えて、作業が終了となりました。

今回の現地調査は、144平方メートルで約2週間かかりました。

記録図の作成 記録図の作成

完掘状況 完掘状況(北西方向から望む)

今回、確認できた遺構は建物跡1棟、土塁の基底部、3間間隔の1列のピットの並びがありました。出土遺物は皆無です。

調査区は、陣屋の中心地内で豊川に面する段丘端部にあたります。

調査区内で崖地の落ち込みの一部が北東‐南西方向で確認されています。今回の成果としては、崖地との境には土塁や建物跡の遺構がなかったと考えられることから、崖に落ちないようにする・崖からの侵入に備えるなど崖地の出入りの工夫がなく、豊川に面する南側は開け放たれた空間が広がっていた可能性が高いことが考えられました。

つまり、幕末頃の様子を聞き取り調査から復元した図のように、南側の豊川に面した部分の記載が一致するという貴重な成果を得ることができたと考えています。

 位置図 発掘調査位置図(幕末頃を描いた絵図より)

今回の調査地点は、土塁内側に設置した櫓台のある場所で高い所から周辺の監視を行っていたであろうと推察されます。しかし、これまで櫓台に関する資料が不明であることからも、発掘調査報告書の作成を通して慎重な検討を重ねて調査結果をまとめていきたいと思います。

また今後は、周辺地のさらなる発掘調査を積み重ねていくことで、歴史景観の復元をしていきたいと思います。

 

調査成果としては期待を下回る寂しい限りですが、このような小さな成果の積み上げで過去の歴史の解明を行っていきたいと思います。