大谷城跡(おおやじょうあと)

種別大谷城

新城市指定史跡

指定年月日

昭和33年4月1日

所在地

新城市上平井字大谷 地内

説明

大谷城跡の現況は山林となっており、明瞭な遺構は認められない。

この城跡の立地場所は、新城地区と作手地区を画する本宮山と雁峰山から派生する舌状に延びる丘陵端部に位置し、比高差約18mを測る標高124m付近に所在している。

規模は72m×52mの範囲に広がり、独立した丘陵地を削平している。また、中心部より北方には2箇所の平坦地?を有している。

ここは、山家三方衆のひとりである田峯・菅沼の2代定忠が永正年間(1504~1521)に大谷城を築いたとされている【北設楽郡誌】。しかし、これについては南設楽郡誌では定忠の子定広が築城したともされ、築城者は判然としない。城主は、定広とその子の定継が知られている。

菅沼定継は、天文元年(1532)に郷ヶ原(新城市石田字万福)に新城(しんじょう)(新城古城)を築城するまで大谷城に居城していたとされ、これ以降のこの城の城主は定かではない。

これらのことから、城の存続時期は、永正年間から天文元年頃までの期間が考えられる。

大谷城跡の遠景

 

 

 

 

 

 

 大谷城跡の遠景(画像中央の丘陵地)