瀧川家住宅主屋・長屋門・祠

主屋 長屋門

祠

登録日

平成17年2月9日(国登録有形文化財(建造物))

所在地

新城市出沢

年代

主屋:文化11年(1814)/明治2年移築

長屋門:宝暦13年(1763)

祠:大永5年(1525)/大正15年移築

概要

瀧川家は、代々この地を治めてきた代官の家柄であり、住宅の主屋は、設楽氏陣屋を移築したもので江戸時代の典型的な陣屋の姿を今に伝えている。また、長屋門も江戸時代の代官家の典型的な外観を残しており、その家格を示すものとなっている。祠は、石造であり、大永年間のものとしては希少な例となっている。

 
詳細内容

構造、形式及び大きさ

主屋:木造平屋建、瓦葺、建築面積125平方メートル

 

長屋門:木造平屋建、瓦葺、建築面積46平方メートル

祠:石造、面積0.1平方メートル

内容

今の新城市出沢を含む瀧川(現豊川・寒狭川)の流域は、鎌倉末期の延慶年間においては「瀧川郷」と呼ばれていた。下って、天正13年(1585)に瀧川郷は、出沢を含む5ヶ村に分割されたが、これが出沢村の始まりとされている。

中世以来この地を領地として来た瀧川家は設楽家とは縁戚関係にあり、そのゆえを以って延宝年間(1673~1681)に設楽家領地の大名主に任ぜられ、以来瀧川家は大名主の役を世襲してきた。さらに、元禄11年(1698)に設楽家から三河領の代官職を委嘱され、以降世襲代官として明治維新に至る。

主屋は、文化11年(1814)に設楽家の竹廣陣屋として滝川一清が建て、御一新の明治2年(1869)に現在地に移築。昭和27年までは茅葺きであり現在は桟瓦葺屋根となっているが、屋根以外の外観はほぼ当時の面影を伝えている。なお、昭和34年の伊勢湾台風によって屋敷の裏山が崩壊し、建物北側の一部が損壊したために修理・改築を行っている。その内部構造であるが、玄関および居室は南面しており、玄関入口を入った土間の奥には囲炉裏がある。また玄関の土間から奥の部屋へと3間が続き、奥座敷の正面には床の間がある。

長屋門については、宝暦13年(1763)に現在地に建築されたものである。桁行6間半、梁間2間の木造平屋建てで、桟瓦葺きの切妻屋根をもつ長屋門は、西寄りに鏡柱を立て脇戸付きの戸口を開き、両脇に大小2部屋を取り、西面には下屋が設けられている。また、武者窓・くぐり戸・乳型金具を打った楠の門扉などが現存。代官屋敷としての家格を伝えている。ただし、内部構造については、後世の改築を受けている。

石の小祠(ほこら)は、自然石を積み上げた台座の上に安置され、基礎・厨子部・屋根を地元の黒瀬石により各1石で造り、厨子部において観音像を彫りだしている。屋根は照り起しの寄棟造りで、正面に軒唐破風を付す。なお厨子部の仏像は、鳳来寺の峯の薬師如来と伝えられている。この祠は、往古の大永5年(1525)の昔より、屋敷前の田の畔に置かれて農地の守護とされたものであるが、大正15年(1926)において現在地に遷座された。