旧大野銀行(大野宿鳳来館)本館・土蔵

旧大野銀行本館   旧大野銀行土蔵

登録日

平成21年1月8日位置図

所在地

新城市大野字上野

年代

本館(大正14年、1925)、

土蔵(明治中頃)

概要

本館は、旧大野銀行の2代目社屋として大正14年(1925)に鉄筋コンクリート造2階建で建て替えられたものです。外観は洋風建築となっており、玄関を角地に設けて曲線状に造られているところに特徴があります。内装の特徴は、1階の執務室と客溜まりをカウンターによって仕切り、執務室の床が板貼りで1段高くなっていることから、執務室では上履きで仕事をしていたことを伺い知ることができます。そのため、この銀行では、内と外を分ける「靴脱ぎ」の習慣があり、日本文化的な生活スタイルがあったものと思われます。

土蔵は、本館の西側にあり、おそらく初代本館(明治29年、1896)とともに明治時代に建てられたものと考えられます。1階部分は板張り、2階は漆喰仕上げで、土蔵扉の黒漆喰仕上げや錠前の作りは見どころの一つとなっています。

 

詳細内容

本館
構造、形式及び大きさ

鉄筋コンクリート造2階建(木造小屋組)、瓦葺き、寄棟屋根、外壁モルタルリシンかき落とし仕上げ、建築面積167.5平方メートル

内容

旧大野銀行が所在する三河大野は,宇連川の左岸に開かれた町で,江戸時代に秋葉山と鳳来寺山を結ぶ街道の要所として栄えた。この地域は、明治時代に入ると飯田から豊橋へ至る別所街道が開通し,それに後押しされ林業や生糸業によって経済的発展を遂げた。そして,地元実業家たちは周辺地域での商取引をより円滑に行うために金融業を必要とするようになり、明治29年(1896)4月、東三河初の民間銀行を設立した。これが大野銀行であり、本店につづいて、新城、豊橋、田原、豊川、牛久保、国府、赤羽根にも支店を開設し、東三河全域を営業圏とした。

 大野銀行は,もともと郵便局があった場所に洋風木造2階建ての建物を建て本店として使っていたが、大正13年鉄筋コンクリート造で建て替えることにした。棟札から設計と施工は志水正太郎によることが分かっており、名古屋で志水建築業務店を営み,岡崎銀行本店(大正6年)や名古屋陶磁器会館(昭和7年)など多くの近代建築を手がけた。

 本館は出入口を角地側にとり、そこにメダリオンの付いた玄関ポーチを設けており,非常に目に付く巧みな計画をしている。客溜と執務室はカウンターによって区画され、さらに古典様式の3本の円柱が空間に緊張感を与えている。この奥に応接室と金庫、2階に店長室と執務室が配置され,それぞれ壁の漆喰と天井の仕上げが見事である。外周を鉄筋コンクリートの柱梁構造で取り囲み、1階執務室と応接室の間にも鉄筋コンクリートの梁を通し、建物全体の剛性を高めている。外側の仕上げは、石積造に見せるために人造石洗い出し仕上げとし、現在までほとんど剥離や損傷がなく,とても上等な仕事であった。大正14年7月に上棟し、同年暮れに完成した。

 第二次世界大戦後、東海銀行に吸収合併されて三河大野支店となり、その後、東三河信用組合三河大野支店(昭和38年、1963)、豊川信用金庫三河大野支店(平成12年、2000)、最後に豊川信用金庫鳳来支店三河大野出張所(平成15年、2003)として平成18年9月まで使い続けられた。この80余年の間、三河大野の経済中枢を担ってきただけではなく、町のシンボルとランドマークとして人々に親しまれてきた。豊川信用金庫撤退後、関係者一同この建物の維持管理に窮していたところ、建物の重要性に鑑み、地元企業が社会的貢献事業として文化的価値を損なわずに再利用していくことに決めた。

そして、平成19年10月に修理修復と改装工事を行い,現在は喫茶・ギャラリー【鳳来館】と再利用されている。

土蔵
構造、形式及び大きさ

2階建て土蔵造、瓦葺き、幅4間、奥行き2間、桟瓦葺き切妻屋根、内外壁漆喰仕上げ、建築面積29.9平方メートル

内容

本館の西側に土蔵1棟が建てられている。正確な建設年代は、棟札はないため不明であるが、鉄筋コンクリート造の大野銀行よりも古い建物と考えられている。理由としては,初代の本店は木造建築であり、重要書類の保管には土蔵は必要不可欠であったと思われるためである。また、土蔵扉の黒漆喰仕上げと引き戸の鍵錺は見事で、大正末期とは考えられず、明治中期に初代社屋とともに建設されたものと考えられる。

 

調査者:泉田英雄氏(豊橋技術科学大学)