長篠城址周辺案内図

 

 「長篠の戦い」に関する史跡案内図をご覧になれます。

長篠城周辺史跡案内図 [159KB pdfファイル]  

  

周辺史跡のご案内

 

大通寺と盃井戸

大通寺は、長篠城址の北端、国道151号沿いの丘の上にあります。このあたりは武田信豊、馬場信房、小山田昌行らの陣地があった所です。武田の宿将馬場信房、山県昌景、内藤昌豊、土屋正次らは、武田軍が設楽原へ進撃する前夜、寺の裏山から湧き出る清水で別れの水盃を交わしたといわれています。

医王寺と武田勝頼本陣地

医王寺は永正11(1514)年開山の曹洞宗の名刹です。寺の裏手にある医王寺山(標高120メートル)は、天正3(1575)年の長篠の戦いの時、武田勝頼が本陣を置いたところで、本堂の前には「武田勝頼本陣跡」の碑が建っています。また、山門の前には長篠の戦いにまつわる「片葉の葦」伝説の弥陀池があり、次のように言い伝えられています。

決戦前夜のこと、勝頼の枕元に白髪の老人が立ち、「明日の決戦は無謀だ、戦いをやめて故郷に帰りなされ」といさめたところ夢うつつに勝頼はとっさに傍らの太刀をとり、老人の肩口に斬りつけました。老人は煙のように消えましたが、翌朝、弥陀池の葦がすべて片葉となっていたそうです。

庫裏にある医王寺民俗資料館には、長篠の戦いで使われた武田軍の遺品である兜、陣茶釜、槍、硯、矢じりの他、農具や教科書など多数の民俗資料と日本最長の大断層・中央構造線の通る奥三河の鉱物や岩石が展示されています。

馬場美濃守信房の墓

長篠城址から西へ約500メートル進むと畑の中に、明治24年(1891)に建立された高さ1.41メートルの馬場信房殿戦忠死之碑と、最初の墓石と見られる高さ1.3メートルの自然石が並んで立っています。

馬場美濃守信房は、武田信玄に仕え、長篠の戦いにおいては、敗走する武田勝頼を守って戦いの殿(しんがり)をつとめた武田軍の勇将として知られています。

 蟻封塔(蟻塚)

長篠城址の西端、国道151号北側の大手門址に「蟻封塔」という石碑があります。これは長篠の戦いの後、約200年経った安永年間に建てられたものです。

当時、長篠の戦いの戦死者を埋葬した所におびただしい蟻が出て、付近の住民に災いを及ぼしました。そこで医王寺の住職に頼んで戦死者を供養し、蟻封じをしたということです。

 鳥居強右衛門の墓と磔死の碑

長篠城址前の国道151号を西へ進み、豊川に架かる長篠大橋を渡り、「有海」信号を左折して進むとJR飯田線の鳥居駅前に着きます。その近くに新昌寺があり、寺の近くに鳥居強右衛門の墓があります。
墓には

「五月十四日の夜 城を出るとて わが君の命に替る玉の緒を などいといけん武士の道」

と辞世の句が刻まれています。また、寺の南の長篠城の対岸にあたる所には、磔刑となった場所があり、磔死の碑があります。なお、碑の近くにある「牛淵橋」からは、長篠城址が見えます。

 鳶が巣山砦跡

長篠城址の対岸の山頂にある鳶が巣山を始め、5箇所に5つの武田軍の砦がありました。鳶が巣山砦は武田信玄の弟兵庫頭信実が250騎、老臣小宮山隼人助信近が250騎で守ったところです。のち、設楽原決戦の契機となった酒井忠次らの鳶が巣砦奇襲攻撃で砦は落ちてしまいました。現在、砦の遺構を確実に伝えるものは無く、陣地跡と推定される所に秋葉神社の石祠と武田兵庫頭陣地の石柱、それに鳶が巣戦没将士の墓などがあります。

  

長篠城址史跡保存館から各史跡への所要時間

  • 大通寺 徒歩5分
     
  • 医王寺 徒歩15分
     
  • 武田勝頼本陣地 徒歩25分
     
  • 馬場信房の墓 徒歩10分
     
  • 蟻封塔(蟻塚) 徒歩5分
     
  • 新昌寺・鳥居強右衛門の墓 徒歩30分
     
  • 鳥居強右衛門磔死の碑 徒歩35分
     
  • 鳶が巣山砦 徒歩70分

 

周辺の史跡見学ウォーキングコース

長篠城、設楽原周辺見学の参考に利用ください。  

 

公共交通案内

鉄道、バスの時刻案内です。

 

※Sバスは、保存館から市内各所への移動に利用できます。

【Sバス移動例】

○保存館から鳳来寺山自然科学博物館・鳳来寺(田口新城線または四谷千枚田新城線経由)

  長篠城バス停→鳳来寺バス停

○設楽原歴史資料館から大海駅(北部線)

  歴史資料館バス停→大海駅バス停

○新城駅から亀山城址・古宮城址(作手線)

  新城駅口バス停→つくで手作り村バス停(亀山城址) ・鴨ヶ谷口(古宮城址)

 さらに充実した時間を過ごすために

長篠城址史跡保存館、設楽原歴史資料館、鳳来寺山自然科学博物館とその周辺をめぐる旅を計画してみませんか。