ある会合での、ある方との会話。

 

 2月26日付けブログ(『補正予算に修正案』)で報告したように、先の3月議会初日に、市長提案の補正予算案が一部修正されたうえで議決されたのだが、あれはあれで良かったのかどうかと尋ねられ、私なりの考え方をお伝えした。

 

 市長提案が議会議論のなかで修正されたり、あるいは否決されて再提案にいたったりすることを、市長側の失敗や失点かのように見る見方そのものがおかしくはないか。

 

 もちろん、その結果市政運営が大混乱に陥ったり、予算執行・事務執行に破綻が生じたり、あるいは市民のなかに不毛な対立が生まれたりするようであれば、それは市長の失政に違いない。

 

 けれど議論の分かれる課題で、市長提案が修正を受けて執行されることは何ら恥じることではない。それが議会というものだし、市長提案が無傷で通ることが立派な政治運営だなんて発想することの方が異様ではないか。

 

 私はむしろ逆の方向に行くことこそが、これからの自治体運営に必須だと考える。

 

 市議会の昨年12月定例会で、ある議員質問への答弁で、私はこんな答え方をしたことがある。

 

 市民自治条例をどう考えるか、をめぐっての質疑だ。

 

 〔議会議事録より〕

 『~市民自治条例でありますけれども、市民自治、つまり地方自治の本旨は、議員ご案内のとおり団体自治と住民自治と言われています。


 ニセコ町の住民自治基本条例以来、各先進自治体が積み上げてきたもの、そして現在の分権改革で積み上げてきたものを私なりに総括をいたしますと、三つの原理が基本的にみなに共有をされてきていると思います。


 第一は、まちづくりの主役はあくまでも市民であるということ。市民主体のまちづくりということ。


 二点目は、情報の共有ということ。


 三つ目は、協働参画の推進ということであります。


 ~中略~

 

 一方で、私として、新城なりの自治条例を考えますと二つの問題点が横たわっています。一つは、地域自治組織との関連性ということ。もう一つは、いわゆる二元代表制というものをどういうように考えていくかという問題。これは、これからの日本の地方自治、分権改革にとって大きな課題だというように私は理解をしています。

 

~中略~


 もう一つは、先ごろ新聞報道にありましたが、愛知県の幡豆郡一色町の都築町長が非常に革命的とも言える提案をされました。いわゆる地方の特区制度でございますけれども、議会の議員を町の部長職に任命をしたらどうだ。これは、今の地方自治法等々では当然兼職の規定に引っかかりますので、従来の法解釈ではとても不可能なことです。けれども、これがいい、悪いは別として一つの問題提起であることも間違いございません。


 私も、自治条例の制定のプロセスの中では、議会のかかわり、行政とのかかわりというものを今までどおりでいいのかどうか、部内でもいろいろ検討しました。都築さんと同じようなことも一時は考えて、その法的な問題も検討させました。そういう問題が横たわっている。


 今、議会では、議会基本条例の制定について議論をされていると伺っています。こういうものとしっかりと歩調を合わせ、全体の整合性をとり、そして、これからの地方分権改革の中で国、県に対してもしっかりと自治を守るとりでを作っていくのが、これからの自治条例である。


 つまり、住民主体のまちづくりをするために住民、議会、そして行政がそれぞれの役割をきちんと果たしていくということをルール化するとともに、地方政府という役割を負わされるであろう基礎自治体として、国等に対しても住民を守り、そして自治を守るというとりでをしっかりと築いていくのが、これからの住民自治基本条例のあり方ではないか、このように考えているところであります。~』

〔この項、全文は新城市議会「会議録の閲覧と検索」(新しい画面が展開します)で「市民自治条例」と入力し、平成20年12月定例会市長発言からご覧になれます。〕

 

 「地方政府」とか「地域主権」とかの方向にふさわしい自治体をつくる仕事にとって、長と議会の「二元代表制」をどう考えるべきか。長と議会の権限および責任のあり方が、これまでどおりでいいのかどうか。

 

 私は、議会が自治体運営にもっと実質的な権能を及ぼせるようにすべきだと、考えているのだが、法制度論以上に、現制度のなかでも、その実質化に向かって努力すべきだと思う。

 

 行政の仕事は、「間違いがあってはいけない」ということに強く規律されている。日本の公務員の真面目さと忠実さの根幹を支えている。

 

 しかしそれは「間違いがありえない」ということではないし、「間違ってない」と強弁することで保証されているわけでもない。いわゆる「無謬性の神話」が、いかに多くの失敗を改めるチャンスを奪ってしまったか。

 

 誰でしたっけ、近代民主主義の啓蒙家の一人が、こんな意味のことを言っていましたよね。

 

 『民主主義は、自分よりももしかすると相手の方が正しいかもしれない、という仮説のうえに成り立つ制度だ』と。

 

 すべての人との関係にこの容量(キャパシティ)が準備されていなければ、民主主義は一部の人にとってだけ居心地のいい政治制度に堕してしまうだろう。

 


 

孫1

 

これは誰でしょう?

当地方初のスポーツプロチーム、バスッケト(bjリーグ)の

「浜松・東三河フェニックス」で活躍する孫明民(スン・ミンミン)選手の等身大パネル。

チームから寄贈され、現在市役所正面入り口で、お客様を迎えています。

身長2m36cm! どんなに大きいかというと・・・・

孫2

 

                      孫3