昨年10-12月期のGDP速報値が発表され、昨日、今日と、メディアが大々的に報じている。年率換算で12.7%のマイナス、これは第1次石油ショック時の13.1%に次ぐ35年ぶりの減少幅だ、と。

 

 輸出落ち込みが大きく響いたこともあって、外需頼み、アメリカ頼みのもろさを指摘する論評が多い。こういうことは前から言われていたわけだし、内需主導型の構造転換が叫ばれてもいたわけだが、やはり経済は目の前にチャンスがあればそれにつれて動くもの。

 

 今回の痛みを教訓に、今度こそ新たな転換を果たすべきだろう。

 

 で、これはマクロの経済構造転換の話だが、問題は社会経済の内実ではないか。その経済構造のなかで、どんな人間関係、社会関係が営まれているか。

 

 国民の主な関心事は、そちらにあるのではないだろうか。

 

 たとえばワークシェアリング。これまで日本でワークシェアリングが広まらなかったのは、残業代を込みにして何とか人並みな生活が送れるという給与体系で、また正社員と非正規の間に大きな格差があって、そこに踏み込もうとすると、給与や待遇が大きく低下してしまうのではないか、非正規の人を整理することで正社員の待遇が維持されるならそうしておいてほしい、という気持ちが労働現場に強くあったからだろう。

 

 ところが今回の危機は、その範ちゅうをはるかに越えている。「明日はわが身」で、大企業の正社員にも「人員整理」の波が押し寄せつつある。好不況の加減で、給料に変動が出るのは仕方がないとしても、働く場がなくなり、職そのものを失うことの過酷さはたとえようがない。

 

 明日のわが身を守るためにも、正規、非正規を問わず全体の雇用を守ることの方が大切ではないか・・・こんな意識変化がきざし始めているように思える。

 

 多くの国民は、自分さえ助かればいいとは考えていない。いや、自分だけが助かる世界なんてありえないことを、学んできたのだ。自分よりももっと困った人たちがいて、その人たちを救うことが先決で、それによってこそ自分もまた安心して生活を送れるのだ、と、そんな風に考えはじめている。

 

 「定額給付金」の評判がこれほど芳しくないのも、その理由からだろう。

 

 民間投資+民間消費+政府支出+輸出入差で構成されるGDP値。その構成比率は、ときどきの発達段階や国際関係で決まるしかないが、そのなかで生活する国民のあいだに相互扶助と社会的連帯が息づいているのかどうか、それぞれの人生が充足感で満たされるようにシステムが稼動しているのかどうか、これを決定するのは、国民の行動そのものだ。

 

 未曾有の状況のなかで、それぞれの立場の人が―  一家の主が、企業経営者が、子どもの教育者が、公務に就く者が、どう考え、どう行動すべきかを、真剣に自問していることだろう。

 

 ひと事のような論評や痛みの伴わぬ将来予測によって、社会の明日が決まるわけではない。苦しくとも自ら下すほかない国民の選択とその行動の総計が、明日の社会を決定づける。

 

 自治体は、住民とともに歩むことで、明日の政府形態を準備する。

 


 

新城まちなか博物館より。

竹細工・雅夢

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