2月10日(火曜日)浜松市で、「三遠南信サミット」が開催された。三河の「三」、遠州の「遠」、南信州の「南信」をとって、三遠南信。それぞれ中心都市は、豊橋、浜松、飯田の3市なので、年に1度3市持ち回りでサミットが開かれ、行政、経済界、住民活動団体が一堂に会して議論をかわす。

 

 この3地域は、それぞれ属する県が異なっているが、古くからさまざまな交流と連携の歴史ならびに実績がある。しかもそれぞれの県のなかでは、東三河は愛知の東端、浜松は静岡の西端、南信州は長野の最南部と、県庁所在地から一番遠方に位置している。ために県境をはさんでの新たな地域活性化や連携事業に、大きな関心と利害をもっている。

 

 県庁からみればどちらかというと「遠心力」がはたらく3地域が集合し、別個の交流圏をつくって、他地域に対する「求心力」を確保しようとの戦略。とも言える。

 

 この3地域の現下共通の大事業が三遠南信自動車道で、浜松の引佐地区(新東名引佐インターチェンジ・ジャンクション)から新城北東部(鳳来インターチェンジ)、北設楽郡東栄町を経て飯田市・中央道へとつながる高規格道路を指す。現在一部分供用されており、新東名開通までには引佐-鳳来間も開通の予定。全線開通までにはまだまだ年月を要するが、地域にとっては1本でつながることが待ち望まれる路線である。

 

 当然新城市にとっては、短期的にも大きなインパクトをもたらす事業だ。

 

 それに加えて富士山静岡空港が本年6月開港予定となっており、リニア中央新線も南信州を横断していくことが予測される。

 

 前にアメリカとの比較で、日本は歴史が何層にも堆積した社会だと書いたが(1月23日『オバマ就任演説に思う』)、県境域を見ると、それをまざまざと意識させられることになる。

 

 行政境界は、しょせんその時々の為政や統治の必要性・有効性から線引きされたものだが、それはつまり歴史の各段階で、いろいろに引きなおされ、綱引きや争奪戦が繰りかえされてきたものだということ。

 

 縄文、弥生のころはちょっと置くとしても、古代律令制の時代、中世荘園時代、地頭・武家時代、戦国割拠時代、近世幕藩時代、明治近代、そして現代と、境界域はめまぐるしく変わってきたが、地域には、それぞれの時代の痕跡と伝承文化が残り、さらに血縁を通した人の関係や、交易・流通・資源利用の関係などが、後の各代に強い影響を与えてきた。

 

 三遠南信もまさにそうした何層もの堆積を続けてきた地域だが、数年前から盛んになりはじめた道州制議論をここに重ね合わせると、新たな境界論争の火種が伏在するのが見えることになる。

 

 実は前々回の三遠南信サミットでは、道州制に移行の場合は、南信州地域が他の2地域から引き離されないようにとの決議まで行われている。

 

 国の委員会が示した道州制区割り案によれば、どの案でも愛知と静岡は同一州に属することになっているのに、長野はどの案でもこの両県とは違った州に属することになっている。

 

 長野県は、県全体としても微妙な位置にあるのだが、飯田市を中心にした南信州地域にとっては、文化的、経済的、交通的、風土的つながりからいって、三河、遠州との連携のなかで将来ビジョンを描くほうが住民利益に結びつくことから、こうした決議にまでいたった。

 

 統治システムの大きな変革の時代は、それによって生まれる亀裂のすき間から、別の地域層がひょこっと顔を現し、新たな価値創造や「人・物・金・情報」の異なった流通を後押しすることになる。

 

 「地方政治」にたずさわってみると、地域・圏域のあり方というのは、机に載せた平面図の上に線を引くのとはまったく別の決め方、そう、新たなダイナミズムを生み出す住民行動と重層的な政治・文化統合力とで決する以外にないことが実感される。

 


 

新城まちなか博物館より。

イーハートーブ吉川(染色工房)

染色工房

    

           工房2