昨日(1月27日)、奥三河ビジョンフォーラム主催の「新春懇談会」が開催された。毎年恒例のもので新城市と北設楽郡の首長(4市町村長)が、時々の課題をめぐってパネルトークを行う。

 

 昨日は話題の「東三河政令市」構想も取り上げられ、各首長の考えが聞かれた(東三河政令市構想については、1月8日付けブログもご参照ください)。

 

 今朝の新聞報道で、私の発言がいくつか取り上げられている。

 

 『(東三河合併のなかでは)財政基盤の弱い奥三河が“お荷物”扱いされることを危ぶむ声もあるが、穂積亮次新城市長は、「お荷物論に動じることなく、新形態の合併を考えるべきだ」と呼び掛けた。(下流域に負担に思われないようにとの危惧に対しては)穂積市長は、「合併は水平な相互扶助であり、循環型社会構築など新しい価値観が必要」と提言した。』(A紙)

 

 『穂積市長は「水平な相互補助体系に変わるだけで、“お荷物論”に決して動じる必要はない」と強調。私見と前置きした上で、「浜松市や豊田市とは違った形態を持てるかがポイント。一定の緊張関係を持たせ、連邦的に結合するやり方もあるのでは」と提案した。』(B紙)

 

 全体の議論をお聞きでない方は、意味不明のところもあると思われるので、少し解説したい。

 

 1月7日の東三河全市町村長による懇談会でも出た論点だが、たとえば政令市構想に対して豊橋市等の都市部の住民の中には、財政力が弱く、過疎・高齢化の進む山間地を「抱えこむ」ことへの疑念がある。なんでそんなところの面倒までみなければいけないの、都市基盤整備に費やすべきお金がとられちゃうんじゃないの、といった声をご想像いただければいい。

 

 人間の心理はほんとうに面白い。

 

 となり合ったA市とB市があったとする。別々の行政体のときには、たとえば、A市で学校の耐震工事を進めていると聞いたB市民は、ほぉーA市もがんばってるな、くらいの気持ちで受けとめる。ところがこの両市が合併してAB市になると、ずいぶん変わってくる。A地区で工事が進んでいると聞いたB地区住民は、自分たちの分がA地区にとられているんじゃないか、みたいな気持ちにとらわれがちになるのだ。

 

 これが表題にいう「合併の心理学」の一面。

 

 〔次の日程が入り、書く時間がなくなりました。今日はここで終わり、次回続けます〕

 

 

柿

 

里の風物詩

  つるし柿

     (川売地区)