設楽ダム建設同意
計画発表から36年。
一口に36年というが、たとえばこのときに30歳だった人は66歳。その間の社会・経済の変化は急速で、山間地のありようも大きく変貌を遂げた。働きざかりの頃にダム問題で奔走された方々は、そのために人生の大半を費やしたことになる。
私も大勢の知己があり、あの方、この方と、お顔が目に浮かんでくる。
そのうちの一人、水没地域の方が、地元紙のインタビューにこたえて次のように述べておられる。
「・・・なんにしてもこんな大きな問題で、内部対立、住民同士の仲たがいが起きなかったことが1番の幸せだ。金も絡むし、感情的になりやすい。疑心暗鬼になりやすい。金のことならいつか解決できるが、オマエの先祖はなあ―と、感情的な対立はいちばん始末が悪い。次世代に申し送りたくない。そうした悲劇だけは避けたいと思ってやってきた。今後もそうしていきたい・・・」。
こうした苦労も、しかし自分で望んだ事業で負ったものではなく、建設地には直接何の利益ももたらさない下流域の治水、利水目的のダム計画によって強いられたもの。
であればこそ、町長も議会も「苦渋の選択」と表現された。
ただこれが全国レベルの報道になると、「ダム賛成派が反対派を押し切った」的な図式で描かれがちになる。「ダム賛成派」というからには、ダム建設を要求し、それを積極的に推進してきた派、であるはずだが、繰り返すけれど、この事業は地元起因のものではない。
地元地域は「降ってわいた」事業計画にほんろうされた側。そしていくつもの節目節目を経て、今日の同意多数へと行き着いた。賛成、反対の図式ではすくい取れないものがたくさんある。いや、それが大部分だといえよう。
しかも地元地域にとっては、ここからが生活再建と地域づくりへのほんとうのスタートラインなのだ。
10月23日のブログ(『設楽ダム』)でこう書かせていただいた。
『「ダム建設は大詰め」と言うのだが、それは下流域から見たものだ。建設の同意に半世紀近くがかかったとしても、それは建設に同意したというだけであって、むしろそこから新たな問題を抱え、新たな地域づくりへの歩みを始めなければならないのが、水源地であろう。』
ダム問題を論じるときの切り口は多様だ。どこに「正義」があるか、誰か全能の判定者がいるとでもいうのだろうか。
結局、いずれかの立場を守り、どなたかの歩みに寄り添うことを決めるしかない。
私は、地元地域の皆さんのこれからの苦闘に寄り添っていきたいと、心に決めている。
それはまた、ダム着工後には、「直下流問題」が生まれる地域の市長として、その立場からの行動をとっていく、という意味でもある。
一足さきに春の薫りが・・・・
1月9日のブログで紹介した川売地区から、梅の花が届いた。
ハウスで栽培したものとか。
「にほんの里100選」に選ばれたご報告においでくださった方から。
かおりが部屋中に漂う。
ありがとうございました。
こちらは超がつく貴重な写真。(昨年の開花時)
川売に下りてきたカモシカをパチリ。
(もちろん私が撮ったのではありません。梅の花とともにいただいたもの)









