10年前に旧・新城市が提唱して始まったサミットも、ドイツ・ノイブルグでの開催で参加都市を一巡をしたことになる。そこで重要だと思われる総括点をいくつか記しておきたい。

 

第1には、何といってもよくぞ10年間続いたということである。当初の様子を聞いてみると、参加各国で開催をひとまわりはしたい、とのおおよその希望はあったそうだが、当事者やまわりで見ていた専門家もふくめてそれが実現できると思っていた人はいなかったろうという。

 

 それぞれに決して大きな都市ではない。財政面においても、スタッフ陣容においても、潤沢なところはどこにもない。ホスト市に名乗りを上げるのは大変な決断だろう。派遣側にまわっても、並大抵の負担ではない。行政と議会との関係は、それぞれ異なった形をとってはいるが、新城で出たような論争はどこの都市でも起こったはず。市長の顔ぶれも、考え方も変わっていくわけで、突然、もう止めました、と通告されて終わり、なんてことはもっともありそうなこと。

 

 実際、第1回に参加したフランスのヌフ・シャトーは、2回目からは音沙汰なしだし、アメリカ・ペンシルベニアのニューキャッスルは、第3回をインディアナと共同開催した後、不参加となった。

 

 こんな形でくしの歯が抜けるようにメンバーが少なくなり、やがては開催市がなくなって自然消滅・・・・このような成り行きを予測した関係者も多かったのではないか。

 

 しかし実際には、6カ国で順次開催された上に、2010年、12年にはどうしよう、こうしようなんていう話題が当たり前のように飛び交うようになった。また新しい加盟都市が増えたり、さらに増やすようによびかけてみようと提案されたりしている。

 

 これはどうしたことだろうか。きっかけは、まちの名前が同じだというだけのことなのに。

 

 思うに、歴史的背景のある交流が続いていたり、強い経済関係があったり、利害の明確なテーマで友好関係を結んだり、といった関係ではなく、小さな地方都市独自のイニシアティブで、しかも名前が同じという分かりやすい共通性だけで集まり、いわば素朴な「仲間意識の輪」をワールドワイドで広げていく試みが、新鮮かつ創意性あるものとして受け入れられたのではないだろうか。

 

 都市の名前は、そのまちの歴史的・文化的アイデンティティの象徴。つまりは、それぞれの愛郷心の琴線に触れるものでもあったのだ。

 

 いわばそれぞれのまちへの愛着心こそが、「世界新城サミット」を続けさせたエンジンになった。

 

 (「新城サミット」の総括、続きます)

 


 

ドイツノイブルグの町並み