税と旅行
つまり、何かもっともらしい目的にかこつけてはいるが、半分は観光旅行のようなものだと見られ、そんなことのために貴重な税金を使われるのは許せない、観光ならばプライベートでいけばいい、というところにいってしまうことが多いことだ。
「いいねぇ、税金で外国旅行ですか」というように。
それを言われるほうは、人によって違うかもしれないが、多くの場合「冗談じゃないよ、観光なら休みをとって、自分持ちで行かせてもらいますよ。疲れるばっかりの仕事にそんなことを言われたんじゃ割が合わないよ」と、愚痴をこぼしたりしているのではないか。
そして次第に、「そんなことを言われるくらいなら止めようか」ということに傾いていく。
これは本当は良い姿ではないと思う。
国際交流はやらないよりやった方がはるかに良い。
それもできるだけ多くの人がかかわった方が良い。
市長、市議、市職員も同様。海外との交渉が多くなる時代に、できるだけ多くの「場数」を踏んでおいた方がいい。いざというときに対応の仕方が分からなかったり、間違ったりして、大きな利益やチャンスを逃すことを考えたら、多様な経験を積んでおくに如くはない。
もちろん財政状態や他の事業とのバランスがあるので、一概に言えることではないが、原理は明確だ。
交流事業の意義をしっかりと市民に伝え、より多くの人がかかわれるような仕組みづくりを追求し、その事業への市民理解を広げること。
それを評価する側も、冷静に、大局的に検証する姿勢を持つこと。政治家や役人の旅行に税金を使われるなんて、という切り口よりも、税金で仕事をする人間の技量を高めるために必要なことかどうか、という切り口で見た方がずっと市民利益にかなうのではないだろうか。
さて明日は、この会議の最終日。コミュニケをまとめるにあたっては、結構な激論が交わされたが、通訳を介して話すことの利点もひとつ発見した。
討論がヒートアップすると、英語が通じる者同士は、相手がしゃべってるときだろうが勝手に言い合って騒然となってしまう。ところが私が発言を求めて日本語でしゃべりだすと、みな意味が分からないのでともかく耳をそばだて、さぁ何を言ったのかと、通訳の話も最後までだまって聞きとおす、という現象が起こる。
もちろんこれは、優秀な通訳がついていてくれる場合に限られるわけだけれど、楽しい発見ではあった。
英語を完璧に理解しながら交渉のときは日本語で押し通す、なんていうのが一番カッコいいと思うのだが、時すでに遅く、これからの世代に期待を寄せるほかない。
ノイブルグ市内を流れるドナウ川









