先に触れたように、7月初旬から市内9ヶ所で「市政報告・懇談会」を開いてきたが、先週の金曜日(18日)で、とりあえず全日程を終えた。

 

 夜遅く各会場に足をお運びいただいた市民の皆さま、また周知案内にひとかたならぬお世話いただいた区長さんはじめ地区リーダーの皆さま、大変ありがとうございました。

 

 この報告・懇談会が始まったときのブログで、市長の「政治家としての顔」と「行政官としての顔」の両面性について触れた(7月8日)。いささか尻切れトンボの話になってしまったが、こうして全会場をまわってあらためて感じることは、私どもの仕事では市民に対して何ごとかを語ろうとする熱意、使命感、そしてその行動がすべての基点になるということだ。

 

 裏を返して言えば、それらが失われたときが、政治代表としての資格を失うときということである。

 

 今日のタイトル、実はあるスポーツ選手の言葉だ。前の冬季オリンピックで、イナバウアーの荒川選手が金メダルを獲得した女子フィギュアスケートだが、ここのところとても多くの選手が活躍を続けている。その中の一人が新聞のインタビューに答えた記事が印象的だった(たしか村主選手と記憶している)。

 

 人を魅了する美しい演技について聞かれた彼女は、「高度な技術ももちろん大切だが、人を感動させるのは、伝えようという情熱、だと思う」といった意味のことを答えていた。

 

 厳しい練習を重ね、高度な技術を習得した人だから重みを持つ言葉で、情熱があれば人が感動するというものではなかろうが、その演技の一つひとつから情熱が伝わるからこその感動なのだ、ということだろう。

 

  合併によって誕生した新・新城市。新市政スタートから2年有半。その間に直面した多くの課題とそれへの対応、新しいまちづくりのビジョンと計画、われわれを取りまく時代環境の変化と背景、そこから生じる実践課題などなど、私が市民皆さんにお伝えしなければならないこと、お伝えしたいことは、山ほどあって、今回の報告・懇談会でも意を尽くしたというには程遠い状況だが、根本にはやはり「伝えようという情熱」がどれほどあるかなのだと、あらためて痛感した次第である。

 

   政治に求められるものが、説得と合意形成の能力だとすれば、政治には、伝えるための情熱、また伝えられることを理解しようとする情熱を保ち続ける努力がいる。

 

 


 

 

さて、今日の写真は何でしょう?

送られてきた写真です。

送り主のお宅で毎年咲く、自生の花。

今年はとくにたくさんの花が株についたそうです。

山ゆり1

 正体は・・・・

 

山ゆり2

 

 

山ゆり。ここらでは「鳳来寺ゆり」ともいいます。

昔はそこらじゅうで咲いていたようですが、最近はあまり見られなくなっています。

 

 

山ゆり3

 

こんなのは初めて見ました。

見事です。