「弾薬庫」そして「情報主権」
前のブログ(7月17日)で、税還付のお知らせに誤って他人の書類を入れてしまったことへのお詫びをさせてもらいました。
今日はお詫びついでに、日ごろ思っていることをひとつ。
17日のブログで、市役所は情報の塊だと、申し上げた。ほんとうにその通りなのだが、そのことから私はいつも自分たちが弾薬庫の上に座っているように連想する。
強力な武器・弾薬を供給することができるが、管理を誤れば暴発し、周辺もふくめて甚大な被害を与える。あるいは気が緩んでいれば、知らないうちに盗み出されていたりする。それが弾薬庫。
「情報社会」とは、情報の一片一片、書類の一枚一枚が、銃砲につめる弾薬の役割を果たす社会のことだ。「情報」がそれほどの力をもった社会のこと。
それを実感し、その自覚をもって行政職員は日々の仕事を組織化できなければならないと思う。
そもそもが政府の最初の仕事は、記録することにある。
あなたがA市からB市に転籍すれば、あなたはA市民からB市民になったと記録される。あなたが政府サービスを受けるにあたっての、また相応の負担や義務を負うにあたっての、すべての始まりだ。裏を返してみれば、その記録がなければあなたは自分が何者かを証明することもできない。
その記録が集まり、分類され、公共資源の配分を決定するさいの基礎資料の役割を果たすのが行政情報といえるだろう。
だからもともとが政府組織は、一番の「情報社会」なのだが、世界全体が丸ごとの情報社会になってしまうと、アナログ的、手作業的「記録社会」が、それと気づかないままに鈍重さをさらけ出してしまう。年金記録問題なども、そんな一面があるように思う。
そしてそれ以上に重要なことは、すべての情報には侵すことのできない「主権」がある、ということだ。その情報をコントロールしたり、あるいは他の介入を排除したりする権限のようなもの。それぞれの個人のみに属する情報は、他人には侵されてはならない人格の尊厳にかかわってくる。
「個人情報の保護」は、本来その本人にしか明かされるべきでない情報を、他人が勝手に利用したり、暴露したりすることを、法の力によって防止すること。政府は、国民から負託された権限を行使して、諸個人に代わってそれを守る責務を負っている。
ネット環境や情報機器の凄まじい発達に伴う「高度情報社会」のなかで、行政情報のコントロールと公開、および個人情報の保護に係って、どのように行動するのか。
遅れをとっていることへの自覚、事柄の重要性への切迫感、リスク対応への行動など、われわれの課題は大きい。
8月13日は毎年恒例の「新城納涼花火大会」。渓谷に響き渡る迫力ある打ち上げ音で人気の新城花火ですが、この日が近づくと、関係皆さんとともに「観光協会」長として、秋葉神社に安全祈願に参ります。

先週行ってきました。秋葉山はもろもろの火を司る社が鎮座するところ。参道を登っていきます。

途中の山門。
最近修理が行われたようです。

この日は、山頂付近はガスがかかっていました。
キリに煙る本殿。
立派です。









