ためしに辞書なり事典なりで「政治」「行政」を引いてみると、いろいろなことが書かれていて、では本当の定義とは何だ、ということになると、意外とむつかしい。とくに政治と行政とを分かつ一線がどこにあるかというと、その人の考え方や見る角度によって違った答えがかえってくるだろう。

 

 これは昔は渾然一体だったものが、歴史経過のなかで分離してきたことにもよっている。「三権分立」の歴史とか、王政、帝政、天皇制から民主制への移行とかをみればいいだろう。

 

 一方、日常生活のなかで「政治的」とか「役所的」という表現を使うときは、得てしてマイナスイメージを表現するときが多いように思う。

 

 民間会社や地域団体のなかで、「あの人は政治的だよね」という場合は、駆け引きに長けているとか、派閥的仲間をつくるとか、外部の大きな力を使うとかを指すのではないか。

 

 「役人的だよね」という場合は、「固い」「冷たい」「杓子定規」「上に弱く、下に強い」などが対応する。

 

 ほかの国ではどうなのか知らないが、日本では政治も行政も生活感覚ではどちらかというと良い感じをもたれていないことの現われなのかもしれない。で、選挙のときになると「誰がなっても同じでしょ」と言われる。

 

 「誰がなっても同じ」は、「いてもいなくても同じ」とイコールか。そうだ、と答えられる人は、かなり確信犯的な政治嫌いか、無政府主義を信奉しているかだが、多くの人はそこまで言っているわけではないというだろう。

 

 市長も議員もやはりいないと困る。新城市に穂積亮次がいないと困るという意味ではなく、誰がやるにせよ市長職務者がいないと困るように法律ができていて、そこに一定の権限や責任が付与され、それによってはじめて市という団体が機能するようになっているからだ。

 

 それが必要なものならば、より良く機能するように使った方が得だと思うので、市長との対話は、市民からすれば市長をより良く働かせるための手段ともなろう。

 

 おだてるか、けなすか、提案するか、要望するか、困らせるか、引き出すか、手法は多様で、ゆえにこういう場では皆さんがかなり「政治的」になると言える。

 

 

7月6日(日)の最大イベントは、前にもご案内した「設楽原決戦場まつり」。

戦国の戦史を塗り替えた織田・徳川連合軍と武田軍との戦い。

戦没将士の御霊を供養するとともに、歴史の刻印をいまに蘇らせる祭りでもあります。

 

法要

 

両軍ゆかりの皆さんをお招きしての法要から始まります。

 

 

 

 

 

 

行進

 

地元小中学生が両軍に扮して設楽原決戦場へ。

 

鎧兜などは一人ひとり手づくり。

 

 

 

乗馬

 

馬上の将。

 

 

 

 

 

 

出陣

 

いよいよ出陣!

 

 

 

 

 

 

合戦

 

両軍入り乱れての合戦場面

 

 

 

 

 

 

発砲

 

馬防柵から火縄銃の連射

 

この祭りでは、ほかに小学校低学年の演舞、和太鼓や篠笛演奏など盛りだくさんの演目が目白押し。

 

炎天下皆さんご苦労様でした。