「国の借金」と「市民の自治」
国の借金ではそうはいかず、利息がつき、金融商品となって市場に流通し、ときには投機や利殖の対象になる。簡単にいえば、お母さんがお父さんからの借用書をサラ金に持ち込み、それを担保にお金を借りるという場面を想定してみればいい。
政府の福祉政策や所得再分配政策の効果を殺いでしまうような資金移動が起こることは前回に触れたが、一方で、国債を発行する側や保有する側にとっての悪夢は、政府信用が低下し、国債の暴落が起きるのではないか、ということだ。
かつての戦時国債が一片の紙切れに変わってしまったように、国じゅうの金融資産が低落し、ハイパーインフレに見舞われ、経済システムが崩壊してしまうような事態。
国の財政再建はこういう意味でも待ったなしの課題だと思うが、いまはさまざまな負担をどこかに転嫁したり、取りやすいところから取ることの方に忙しそうだ。
政府の財政力が極端に削がれているところに、年金、医療、福祉をはじめとする社会保障制度の抜本的再構築が求められていて、とてつもなく窮屈な状態にあるといえる。
政府の用意するさまざまな社会システムや法制度にかなりの信頼性があり、財政的裏づけも確かで、社会の必要にも合致しているときには、これらのシステムを基準におき、それにそって生活設計をたてることで、家計を守ることができた。医療費の自己負担の割合から、もしものときの保険コストもだいたい合理的に割り出せるだろうし、何年後にどれくらい年金が受けられるようになるかが分かれば、どの程度の蓄えがいるかも分かる。教育費や住宅費のようなコストのかさむものも、生涯設計のなかにどう組み込めばいいか推計できる。
制度の側に寄り添っていれば、よほどのことがないかぎり安心を得ることができたのだ。
その制度への信頼性が大きく揺らいでいる時代。そしてさらに、制度の再設計ができても、その制度が想定するものと人々のとる行動とが違ってしまえば、また振り出しにもどる。
結局は国民一人ひとりが、また住民が一定の共通利害で結ばれた地域社会が、どう行動するかで、制度の側が左右される時代に、われわれは生きているということではないか。
これまであったもののなかから「何をあきらめるか」を決めるための「住民自治」でもなければ、行政経費を肩代わりするための「市民協働」でもない。事態はもっと進んでいて、住民の行動に多くの事柄の決定力が移っているからこそ、市民自治の具現化が急がれているのだ。
そしてその住民意思を直接に集約・代表し、新たな公共システム構築につなげていくことに、われわれ「基礎自治体(市町村)」の役目がある。

昨日から本年度の「市政報告・懇談会」がスタートしました。
市職員による総合計画説明会に続いて、市長による市政報告と住民懇談の場です。
これから市内9箇所で開催していきます。初日の昨日は、新城舟着地区「鳥原児童館」にて。
強い雨のなかお集まりいただきました。

私の報告は、
- 新市発足後の歩み
- 第1次総合計画
- 当面の課題
の3点にそって行い、その後地域課題をまじえた質疑と意見交換を行いました。
全体の日程と会場をご覧ください。(ただし、市政報告・懇談会は、7月4日から18日までで、期日が経過した内容は掲示から削除されます)









