「構造改革」が議論を呼ぶようになった頃から、「選択と集中」という言葉も聞かれるようになった。

 

 右肩上がりの高度成長時代とはちがって、限られた財源を有効に使うためには、数ある政策ニーズのなかから、真に必要性の高いものを選び出し、そこには思い切って投資をするが、優先度の低いものについては「やらない」という決定も必要になってくる。

 

 要するに「あれも、これも」の時代ではないので、「あれか、これか」メリハリの利いた政策決定をしなければならないし、それを有権者に選んでもらうことが必要になってくる、というのだ。

 

 それを突き進めてみて、一部の政治家や行政官のなかでは、それはつまり有権者=納税者が、「何をあきらめるかを決めること」なのだと説明する向きも見られるようになった。

 

 財政難、税収減、低成長、人口減・・・・・こういう言葉が並べば、誰だってそんな気になる。

 

 が、ちょっと待ってほしい。それは公共サービスの供給者側の言い分だ。「あれか、これか」国民が決めた、だから「あれ」をやり、「これ」をやめた、国民が「これ」をあきらめてくれたのだ・・・・・何と楽な政治ではないか。

 

 人口減少時代には税収の単位人口が減少するのだから、政府収入はその分減少する。しかしそれはイコール納税者の収入が減ったことではない。一人ひとりは同じ額を納めていても、納める人の数が減るので減るだけ。

 

 したがって全体のサービス量は減るが、一人あたりのサービスが減る理由とはならない。それで一人あたりのサービスが減るとしたら、政府機構を維持する費用が減っていない場合だ。そのときには「何をあきらめるか」を決めてもらわねばならないかもしれないが、今から「国民に何をあきらめるかを決めておいてもらおう」なんていうのは、政治の側になんの努力もないと言われるのがオチだろう。

 

 では財政赤字がふくらんだ場合はどうなのだろうか。借金の利払いに税収の多くが使われるようになって、政策投資も思うように出来なくなった、これまでどおりのサービスも提供できない、「何かをあきらめてもらうしかない」・・・・のだろうか?

―続く。

 

鳴沢の滝

 

 蒸し暑い日が続きます。見た目だけでも涼しくなりますように。

 作手地区の「鳴沢(なるさわ)の滝」。

 愛知景観資源600選の一つでもあります。