○○をするために生まれてきたのじゃない・・・・・
日本の小学校の先生が、青年海外協力隊か何かの活動でアジアの途上国に行き、そこの小学校運営に協力することになった。赴任先は辺ぴな農村で、電気もガスも水道もきていないけれど、子どもたちは目を輝かせながら学校に通ってくる。
ある女の子は、学校が出来るまでは来る日も来る日も同じことをさせられていたが、勉強を習い、将来の夢をもち始めた。そして、一日中やっていたそのことを指して、彼女は「私は○○をするために生まれてきたんじゃない」と語ったという。
先生は帰国後、自分のクラスの子どもたちを前にその国での見聞を伝えながら、「さぁみんな、○○をするために、って何のことだと思う?」と問いかけてみた。生徒たちは首をかしげながらいろいろ言い当ててみようとするのだが、結局正解にはいきつかなかった。
その女の子が言ったのは、「私は水汲みをするために生まれてきたんじゃない」。
みなさん、ここで映像が想い浮かぶだろうか。井戸もない村、何キロも離れた川に水を汲みにいくのは女の仕事である。大きな桶を頭の上に乗せながら何人かで連れ立って、1日に何往復もする。きっとその子は、小さなころからこの仕事の手伝いをさせられていたのだろう。もちろん家族や村人たちの生活を支える大切な大切な仕事だ。つらくとも胸を張れることだ。
だが彼女は、字を覚え、別の世界を知り、何かの希望を育み始めた。自分の心の奥底から自然と湧き上がってくるものがあって、もっと知りたい、もっと自分を豊かにしたいと思い、ついに「水汲みだけで終わる一生はいやだ」と口にしたのだ。
彼女の両親や祖父母はどんな反応をしただろうか。「だから農民の子に勉強なんかさせるもんじゃない。よけいなことを知って仕事をなまけるようになる」と、顔をしかめたか。「この先も勉強させられる余裕はうちにないよ」と、つらそうにしたか。「この子がそんなにしたいなら叶えてやりたい」と、胸をたたいたか。
そのどれであっても彼女の行く手が平坦なものでないことは明らかだが、日本の社会もつい数十年前までは、こんな葛藤を繰り返していた。
私は昭和27年の生まれで、小学校最後の学年に東京オリンピックがあったという年代だが、同じ歳の農村生まれの知人と話していて「そうか、そんなものか」と思ったことがある。何かの拍子でゴールデンウィークの話になって、知人曰く、「あの連休ほどいやなものはなかったな。学校が休みなので田植えの手伝いよ。ニュースじゃ大型連休で家族旅行なんてことが言われてるのに、うちの方じゃ子供はみんな仕事に狩り出されていたな。学校があった方がずっとよかったよ」。
そう5月の連休は、もともと田植え時期に仕組まれていたのだ・・・・。
こんなことを書き連ねながら、私があえて皆さんの意に留めておいてもらいたいと思うこと、それは近代に成立した公教育=国家による義務教育制度は、「児童労働」から子どもを引き離す措置も意味していたということだ。
「児童労働の禁止」と義務教育制度とは一対のパッケージとなって成り立っている。
これは何も産業革命時代の奴隷使役にも似た児童労働の実態や、それを禁止した「工場法」の原理にまで遡る必要なない。
現代日本の憲法、教育基本法、労働基準法を重ね合わせてみればいい。
親は、学齢期の子どもを就学させる義務を負う(違反者は罰せられる)。
国は、日本国民である限りすべての子どもが等しく教育を受けられるよう、義務教育を無償で実施する義務を負う。
市町村は、域内に住む学齢期の子どもが通える小中学校を設置する義務を負う。
事業主は、学齢期にある子どもを雇ったり、無償で働かせたりしてはならない(違反者は罰せられる―「避止義務」)。
家族総出で農作業をしてもなお生活が苦しかった時代や、貧困から子どもを賃仕事にやらざるを得なかった時代には、実を言うと公教育は、「親から子を引き離す」制度でもあったのである。
今の日本ではこういう意味の児童労働は影をひそめたかもしれないが、公教育制度のこの原点、つまり人間の発達にとって有害な社会状態から子どもを等しく引き離すという原点は、もう一度しっかりと再確認しあうべきではないだろうか。
この原理をもった公教育制度をなくして、教育をすべて個々の国民の私的行為にゆだねたらどうなるのか。ちょっと想像してほしい。恐るべき脅威が子どもたちを襲うだろう。
学校が―また学校だけが、子どもの守り手であった時代があったし、いまだ多くの国でそうであるし、現代日本でもまたそういう学校の再興が求められているのかもしれない。
大量教育時代の産物としての学校教育制度の限界を知りつつ、しかしまた公教育制度を崩壊させてはならないとの固い決意を秘めながら、なおより良きものへとどう近づいていくのか。
挑戦のエネルギーを高めあいたい。

5月も終わろうとしています。季節は入梅へ。皐月を惜しんで、3地区の花を。
新城からは舟着の「あさざ」。

鳳来からは長篠の「なんじゃもんじゃ」

作手からは川合地区の「チューリップ」









