「駅」
改札口からそのままフラットに乗り降りできる1番線はよいのだが、線路をはさんだ2、3番線と行き来するには、雨ざらしの歩道橋を上り下りしなければならない。ホーム自体が狭い設計になっているので、歩道橋も狭く、雨の日など傘をさしてはとてもすれ違うことができない。階段の傾斜も急だから、お年寄りや体の弱い方、乳幼児連れや重い荷物を持った人などには、それこそ絶望の壁に思えるだろう。
このため最近では、単線でホームが一つしかなく、そのまま乗降できる隣駅で降りてわざわざタクシーを呼ぶ人も増えたという。
ずっと以前は、ホームとホームの間に踏切があって線路をじかに渡っていたようだが、安全への配慮からか歩道橋を設置して今日にいたっているという。国は鉄道駅のバリアフリー化を推進するよう働きかけているが、乗降客の少ないローカル線は後回しになって、それでも不便だというなら地元負担でおやりなさい、というのが鉄道側の言い分だ。
いずれは何とかしなくてはならないが、鉄道側との調整、維持管理のあり方、財源確保など、一筋縄ではない課題がたくさんある。
この話題になると私は必ず思い出すことがある。さてもう何年前になるだろうか。20年くらいだろうか。ある新聞のインタビュー記事だった。
旧国鉄の技師の方だった。お名前も記事の正確な全体像も覚えていないが、鮮烈なところがあって、そこだけはいまも忘れ得ない印象として残っている。
その人は戦前から国鉄技師として活躍され、戦後は新幹線の開通に功績を残された。文字通りの国鉄マンである。
その方がこんな主旨のことを言われていた。――自分は鉄道に勤めて以来、駅というものを変えたいと思ってきた。あれほど非人間的で、野蛮なものはない。鉄の塊が疾走する間近に無防備に人間を立たせ、風雨にさらして列車が来るのを待たせている。これは本来あるべきではない。
――たしかこのような意味合いであった。で、どんな駅がよいのか、今はそこに近づけているのか、ここまで語られていたかどうかは定かではないのだが、ともかく上記のことだけは覚えているのだ。
私にはちょっとしたショックだったのである。私だって人道精神のかけらくらいは持っている。そう自負していたが、駅のあり方が非人道的だなんてこれっぽっちも考えたことはなかった。駅とはこういうものと、それこそ物心ついたころから疑ったこともなかったが、言われてみれば確かにその通りだ。
若い人には想像もつかないかもしれぬが、昔の国鉄(国有鉄道、ですよ)といえば凄いもので、それこそ国家そのものといってよかった。とくに戦前ともなれば、すべてにおいて「国策」が優先する時代。その時代の教育を受けた生粋の国鉄マンが、こんな考え方、感じ方をしているとは!
驚きとともに、この方よりもはるかに若い戦後世代たる自分の「開明度」が、自分で思っているよりはるかに低いことも思い知らされた。
その後別の方から、国鉄と私鉄の違いの一例を聞くことがあって、なおさらこの技師の話に重みが感じられた。
国鉄と私鉄の違いの一例とは何か?
この項、次回に続けます。
今日の写真はこれまでの花や山とは大分おもむきが違います。
5月5日のこと、全国の「トラック野郎」が新城桜淵公園に結集しました。
アートトラック、別名デコトラ(デコレーショントラック)。
同好の皆さんが年2回各地で集まり、チャリティを行います。
まずは昼の様子。
そして夜には!
この日は1日大雨だったにもかかわらず、5千人の来場者があり、チャリティ収益は「100万本の桜プロジェクト」に贈られました。









