「ふるさと」の今
昨年の参議院選挙の結果を評して、よく「地方の反乱」だったと言われる。私は少し違うと思っている。もし「地方の反乱」というのなら、地方と大都市圏とでは投票結果が対照的なものになってもよいはずだが、実際はそうはなっておらず、大都市圏でも同様の結果になった。
格差は実は大都市圏の中でも深刻で、しかもそれが地方との格差と深いところで連動しているからこそ、ああいう結果になったのではないだろうか。
もちろん一部ではこんな議論もある。
日本全体の活力が低下しているなかで、東京は活力を保ち、人口も増え、その経済力が日本を引っ張っている。東京さえも落ち込んだら大変なことになるのだから、一極集中をとやかく言うことは日本のためにならない、と。
さて皆さんはどう思われるだろうか。このブログの読者で東京在住の方がおられたら、どうお考えになるだろうか。
各種統計の語るところによれば、新しい貧困が広がっているのは東京においてこそ顕著だ。生活保護世帯の割合、年収200万以下世帯の割合、給食費支援を必要とする世帯の割合などなど。また先月のブログでも取り上げた「ワーキングプア」や「ネットカフェ難民」は東京圏で一番社会問題になっているだろう。
もちろんそれでもそうした人々が東京を去らないのは、他に就業の場がなかったり、非正規雇用の渡り歩きでも首都圏なら何とかあったりするからに違いないのだが、それをもって、だから東京だけが豊かであればいいという結論にはならないだろう。
これも人口統計上の話だが、東京圏への人口流入というのは大体年間に50万人ほどで一定しているそうだ。バブルの崩壊後、東京圏は人口の流出と流入が逆転し、90年代前半には転出超過となったが、その後はまた次第に転入超過となって、今日ひとり東京圏だけが大幅な転入超過と人口増になっている。この期間におきたことは、転入人口は一定していても、転出が少なくなったために人口増の結果になっていることである。
都市の活力、都市発展のダイナミズムというのは、実は人の絶えざる移動によってもたらされる。出たり入ったり、入る人があれば出る人ありで、その人口流動のうねりが新しいビジネスを生み、都市の新陳代謝を促している(また別の機会に述べたいが、新城のような小都市であっても原理は変わらない)。
ところがいまや東京圏で起きていることは、入ってはくるが出ていかない状況、つまり人口の滞留現象とでもいうべきもの。従来であれば転出を考えたり、帰郷を決断したりするような場合でも、その条件が整わず東京にとどまっているケースが増えているともいえる。決してハッピーな生活を送っているわけではないが、他には行き場がないためにそこにいるという場合もそうだろう。
これは決して健全な状態ではない。東京の都市としての発展にとっても、また地方の活力回復にとっても。安価で、手ごろで、いつでも切り捨て自由な労働力があれば、目先の企業業績にとってはプラスになっても真の産業活力にはつながらないし、それが産み出す社会的リスクに対応するコストの方がはるかに高くつく結果になるだろう。
地方の雇用が少なくなり、農山村が疲弊し、格差が広がれば、大都市圏でもまた停滞と貧富の差が広がる。
こうした状況にあるからこそ、人々はこの流れを何とか変えようと動き始めている。昨日紹介した『新城ふるさと銀行本店』の開業もその一例だし、いろいろ問題点はあるが「ふるさと納税」制度が大きな支持を得たのも同様だろう。
われわれはこの地に「山の湊(みなと)」を築くことで、時代の求めに応えたい。

先日のブログで私は「花オンチ」だと書いたのが功を奏したのか、きれいな花の写真が送られてきました。
熊谷草(クマガイソウ)
脇にいるのはエビネラン(ジエビネ)というそうです。

市内在住の方の庭に咲き誇っています。
こんな草花にあふれたまちはいい所に決まっていますね。









