山の博物館(付録・解けた謎)
新城市の施設に、鳳来寺山自然科学博物館がある。昨年「日本の地質100選」の一つに選ばれた鳳来寺山のふもとにたたずむ可愛らしい博物館だ。合併前の旧鳳来町時代に設立され、はや44年目を迎えた。小さな町でこのような博物館を持つというのは大変なことだったが、そもそもが地元の篤志家の寄付と地域の人々の熱意によって実現したもので、その後も息の長い活動を続け、現在は新城市の教育委員会が所管している。(写真:博物館入り口)
この博物館で昨日(4月27日)、年に一度の「学術委員会総会」と「友の会」総会が開かれた。学術委員会は、博物館の展示、研究、諸事業に関して文字通り学術面からコミットする組織で、地学、植物、動物、総務の4部門にわたって市内外の第1級の専門家・研究者に委嘱されている。
「友の会」は博物館のサポーター組織で、小学生から高齢の方まで、また市内だけでなく県内外の方までをいれ、700人近くで担われている。
全山が国の名勝天然記念物に指定されている鳳来寺山はじめ、中央構造線の通る近辺の自然は、独特のものを数多くもっている。諸分野の研究者にはもちろん、それこそ「知る人ぞ知る」なのだが、当館が長期にわたって存続できたのも、学術委員はじめそれら多くの有識者のご支援ご指導によるところが大きい。調査・研究の蓄積、蒐集品の質量において、どこに出しても恥ずかしくないものをもっていると、われわれは大いに誇りに思っている。
また小規模博物館の活動としては、全国的にも名を馳せ、注目を集めている。
博物館全景
総会では、昨年度1年間の詳細な事業報告がなされるとともに、新年度の計画や今後の取り組みが議論された。まったくの門外漢ではあるが、私はその報告を聞きながら、あらためて地道な活動を続け、かつ支えておられる皆さんへの敬意を深めた。
ただでさえ財政厳しき折柄、文化学術、自然研究の分野への財政投下はどうしても後回しになりがちである。施設の維持・管理にも苦労を強いられるなか、なお良質な事業を数多く展開するには、なみなみならぬ努力がいるだろう。
そう言うと、きっと当のご本人たちは「いや、これが好きでやっているだけですから」と、はにかまれるに違いないが、ある意味でわれわれはこうした無類の善意に頼って社会の諸機構を支えている。
そしてそれは、この博物館活動に限らず、全国津々浦々、どの地域にいっても見出される光景であろう。華々しいスポットライトを浴びることはないし、利に敏い人からみればただの物好きにしかみえないかもしれぬが、「人に喜ばれること」の喜びだけを報酬に、コツコツ、コツコツ、コツコツ、積み重ねられている活動群がそれである。
友の会講演会
私の好きになれない言葉(表現)の一つに、「日本も捨てたもんじゃありませんね」というのがある。よく感動的なエピソードや善行をほどこした人のことが報じられると、テレビのコメンテーターなどが口にする言葉だ。「ひどい事件ばかりで、この国はもうどうなっちゃうんだろうと思っているところに、こうした話を聞くと、日本人も捨てたものじゃないと思わせてくれますね」といった風に使われる。
私は言いたい。一体あなたは何の資格があってそのようなご託宣を垂れえるのか。あなたは自分のことを「捨てたもの」と思っていたのか?捨てるしかない人間と自分を規定していたのか?きっとそうではないだろう。自分には絶望していないが、他人には失望していて、自分以外のもろもろ、社会の諸事象、「どうしようもない」事件のことなどなどをさして、捨てたものと呼んでいたのだろう。けれども世の中には、あなた程度の善意や良識をもった人は、それこそ星の数ほどいるし、あなた以上の善行を日々繰り返している人も無数にいる。そしてそれによってこそ、この社会は何とか正常に機能しているのだ、と。
地域社会の日常をつぶさに見れば、この世が何によって成り立っているかが分かる。
そんなことに思いがいった集まりだった。
博物館近くの参道。こんな道が続く。
鳳来寺山自然科学博物館では、今年のテーマを『感動とにぎわいのある博物館』におき、意欲的な事業を展開する。そして市町村合併後初の総合計画始動にあわせ、市全域の自然環境基礎調査を実施し、合併10周年・博物館50周年の年(平成27年)を目標に『新城市の自然誌』や『レッドリスト』の発刊をめざす。
これには大勢の市民の協力参加、内外の学識者の支援が不可欠。
どうか皆さん、応援をお願いします。
鳳来寺山自然科学博物館友の会(新しい画面が展開します)
付録・解けた謎
この写真はお分かりでしょうか。4月23日のブログ『昭和のレトロ』で紹介しました。北名古屋市の「昭和日常博物館」にあった看板で、「クレームレート」って何だろう?と書いたところ、市内の方(昭和10年代生まれの男性)より、メールが送られてきました。ナルホド、の納得です。
それによれば・・・・・・・・・・・・・・
つまるところ、「クレームレート」とは、「CREME de LAIT」。フランス語のLAIT:ミルクのクリームということで、明治11年(1878年)創業の、大東京の平尾賛平商店の化粧品の商品名。明治後期から戦前まで「東のレート、西のクラブ」といわれ、化粧品の2大ブランドだったそうです。そういえば「クラブ乳液」などは自分の記憶にも残っています。
・・・・ということでした。平尾賛平商店、だそうです。お知らせありがとうございました。









