愛知県は製造業を中心に、日本で最も経済活力のある元気な地域と言われている。有効求人倍率は大体2以上の都市が多く、県内では最も経済基盤が弱い本市周辺でも1以上をずっとキープしており、慢性的な人手不足に悩んでいる。

 

 市内に立地する大きな工場関係者にお会いすると、いつも話題はそこへと及ぶ。働き手が確保できないために増産計画に影響が出るので、遠く九州や東北へと求人の手を伸ばしているという。当地方面への進出を検討している企業担当者が真っ先に心配するのも、必ずその点だ。

 

 かつては企業が来れば人が集まってきたが、今では人がいないところに企業は来ない。

 

 一方では、4月21日のブログ『「格差」と「家族」』で見たように、正規雇用に就きたくとも望みがかなわず、大都心のネットカフェで不安な夜を重ねる若者たちがいる。

 

 私は『ワーキング・プア』の特集番組(4・21ブログ参照)を観たあと、大手工場の担当者に聞いてみた。

「身元保証って、それほど重要ですか?」

 

 答えは明快だった。「いや、われわれはその人がうちの仕事に向いているかどうかを、一番大事な基準にしています。そしてそれは面接してみれば大体分かります。とくに身元保証人を求めることはしていません。」

 

 「では、フリーターを続けてきて家族とも疎遠になってしまったような人たちを、市が身元保証をして働いてもらったらどうなるでしょう?」

 

 「まったく問題ありません。その人の適性次第で、それはわれわれが判断できます。」

 

 この会話のなかで、別の興味深い話も聞けた。住居の問題だ。たとえば外国人労働者が、単独で工場周辺にアパートを借りようとしても難しい。大家さんが敬遠するからだ。そこで人材派遣会社が会社名義でアパートを借り上げて、部屋を提供しようとするのだが、それでも大家さんの不安は拭えない。結局、大元の会社の名前で借り上げ、それを転貸する形をとることもあるのだという。中身は何も変わっていないのだが、それで大家さんがはじめて安心するからである。

 

 分かりやすい話ではないだろうか。住所、家族、身元、帰属集団などなどは、決してその人の能力や適性を証明するものではないが、社会的信用を担保し、心理的安心感をもたらすものとして受け止められている。

 

 この関係性が断ち切られてしまったとき、個々人はとても不安定な状態に投げ出され、「普通の生活」自体が困難になるのが日本の現状だろう。

 

 よく「自助・共助・公助」と言われる。

 自分のことは自分で守る。それができない部面は近隣同士で助け合う。それも及ばないところは公的援助がカバーする。こういう関係のことで、それ自体はごくまっとうなことだ。だが、こういうきれいな方程式が成り立つためには、相互の社会的信頼関係が不可欠で、そこでは暗黙のうちに家族機能が働いていることが想定されている。

 

 家族形態が変容し、地域社会も変わり、自助と共助のあいだに大きなすき間ができている。それが人を呑み込む落とし穴にならないように、社会全体の大きな協力が求められている。

 

 自治体は、公的な信認性と責任性を保証するという点で、大きな役割を果たせるはずだと、私は思う。いやむしろ、自治体がこの役割を負わなければ、今の日本、かなりまずくなるのではないだろうか。

 

 

4月23日のブログで紹介した、北名古屋市の「昭和日常博物館」。ほかにも懐かしい品物の写真があります。とくに説明は不要ですね。

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