「長寿医療」や「消えた年金」問題で見られるとおり、社会保障制度のあり方が、国の最大課題になっている。与野党の政策論議を通じて、より良き制度確立がなされることを期待する人は多い。かく言う私も、地方自治体の長としてそのことを強く望む一人である。

 

 新しい持続可能な制度設計というものが、どうやってなされていくのか。冷静に考えたとき、そこには二つの大きなリスクが横たわっていることに気がつく。

 

 この場合のリスクというのは、現場の必要や専門家の知見、財政的裏づけ等から、何とか新しい制度設計がなされ、法制度として施行されても、そのそばからそれを掘り崩してしまうような要因をかかえてしまう可能性のことだ。

 

 リスクの第1は、国民の政府に対する信頼のいかん。もしも国民が政府を信頼していなければ、どんなに精密な制度をつくっても、それはすぐに機能マヒに陥るだろう。たとえば将来年金は約束通りには払われないと、国民(とくに若者)の多くが思えば、加入者は減り、掛け金も入らず、立派な制度も絵に描いた餅に終わる。

 

 もう一つのリスクは、家族のあり方いかん。公的な社会保障サービスは、実のところ家族のあり方に大きく規定されている。農村的大家族の時代と勤労者的核家族の時代とでは、社会保障制度はかなり違ったものになるが、では、これからの日本の家族形態がどんなものになっていくのか。実は誰も正確には予測できない。それを決定するのは、これから結婚したり、出産したり、子育てをしたり、家庭を営んだりする人々、とくに出産年齢にある女性たちの行動そのものである。彼女や彼たちが、制度が想定する範囲外の行動をとれば、その制度はやはり機能しえないだろう。

 

 この2つのリスク要因は、いまの日本社会が抱える根本問題だが、それに対する答えが出てくるまでにはいましばらくの時間、格闘、努力が必要だろう。

 

 ではそれまでの間、社会は混乱の中をさまようことになるのか。

 

 いや、ここに地方自治体の今日的で特異な役割が浮かんできていると、私は思う。

 

 仮に、中央政府の法制度がめまぐるしく変わり、施策の欠陥、不備が露呈することがあったとしても、直接住民に責任を負う自治体行政は、住民の不利益につながらないよう努力を払うことで、政府に対する国民の信頼を可能な限り確保する。

 

 またこれまで家族や地域共同体がになってきた相互扶助機能が低下するなかで、それをカバーし、代替する役割をになうことで、自治体は、地域の社会関係や人間関係の崩壊を食い止める。

 

 そしてむろんこんなことは、行政組織だけでできるわけはないので、地域の自治組織や福祉団体、NPO、経済組織、協同組合、企業などとの、文字通りの協働関係が求められてくる。

 

 そこにわれわれは、新たな「公共」空間と「近隣政府」の出現を見るだろう。

 

 

 作手桜1                 4月7日の本欄で紹介した作手地区の桜。そのときにはまだ蕾がふくらみかけたところでしたが、昨日にはこの写真のように。作手もこの週末がピークでしょうか。

 

作手桜2

 

作手桜3 もう1枚も作手の別の場所。ちょっとピンボケですが、かえって花霞がかかったようでは?