「道」は続く
仮にA地区と呼んでおこう。国道から2キロほど入ったところに十数軒が住む、山間の集落である。近年は花の季節に大勢の人が見物や散策に訪れるようになった美しい地区だが、この先に集落はなく、道はそこで行き止る。以前の道は未舗装のうえに、狭く、曲がりくねって、車のすれ違いも難しい不便なものであった。
改良への地元の悲願は熱く、11年間をかけて、延長約1.6キロの工事を行った。幅員は5メートルだから、2車線はとれない。ささやかな、ささやかな道である。
それでも地区の人々の喜びはひとしおで、祝賀会で配られた『地域の声』と題されたプリントに、その思いが綴られていた。地元の一言コメントを集めたものだが、その一部をここに紹介したい。
- 僕が自転車通学の時は大変だった。こんな道路で通ってみたかった。
- ここに嫁いできて細い曲がり道が一番イヤだった、実家へ帰りたくなる時があった。
- 市街地に近くなった感じ。日々買い物が本当に楽になった。
- 道路沿いの景観もまた素晴らしいことに気がついた。
- これからは大雨が降ってもきっと大丈夫だろう。防災の面からも素晴らしい道路になったに違いない。
- 運転時間が短くなったので、とてもうれしい。
- 難産だった。完成して本当に嬉しい!
- 人生楽園、定住者が来てくれればと思ったりして・・・・・・・・
こんな寄せ書きでプリントは埋められていた。もちろん「あまり嬉しくない。私は、道路は歩ければ良いと思っている」「スピードを出しすぎて事故が起こらなければいいけど・・・」といった危惧の声もありのままに紹介されていて、そのすべてから、そこに暮らし、日々そこを通る人の、「道」というものへの思いが読み取れた。
こんな事業にかかわれる職員を羨ましくも思った。
ところでこの道には、5億3千万円の予算が投じられた。
さてこの道は、「真に必要な道路」か。
私が「真に必要な道路」に違和感を覚えるのも、この地区のような実例をいくつも見ているからかもしれない。
お金がなくて今は造れません、と言うことはある。いやそんなことばかりともいえる。しかしだからといって、それを切望することを禁圧することなどできっこない。
生活のなかで生まれる社会的欲求は、世の中を前進させるエンジンだ。それをあらかじめ「もう満ち足りているはず」と為政者が決めつける。政治の自殺行為としか言いようがない。
「こんな道で通学してみたかった」といわれるような、つましい前進。こんな道でも、何十年とかかってようやく開通をみる。世界でもっとも豊かと思われている国の実態だ。
それをまず恥じ入るのが、政治であるべきではないか。いっぺんにすべてを解決できなくとも、貧弱な現状を少しでも力を合わせて乗り越えていこうと呼びかけるのが、政治の役目ではないか。
「真に必要」ではない道があるとしたら、それはきっと誰もがうらやむような満ち足りた生活で埋め尽くされた地域でのことなのだろう。
日本のどこにある???
現地写真情報が入りました。










