「道」に思う―旅の話
「国民に旅をさせろ。されば国は活力を取り戻す」、と。
国交省への回答書のなかで、「居住、移転、職業選択の自由」を書いた(昨日のブログ参照)。若い人にはあたり前すぎて、なんでわざわざこんなことを指摘するのかと、思われるかもしれないが、私はとても大切なことだと考えている。
「雄飛」というように、広い世界に飛び出すことそのものに勇気を必要とした時代があった。今は旅行に出るのに蛮勇や理屈づけはいらないだろうが、それ以上にお金と時間の心配をしなければならない。
したくても出来なければ、その自由は法律書のなかに閉じ込められた言葉に終わる。
教育、医療、福祉にしても、今では普遍的にいきわたっているが、そのためには税にしろ保険にしろ、必要な費用を社会全体で負担しあうことで可能となっている。
私は、「移動の自由」がもっと普遍的に保証される社会を夢見たい。
いやこれは夢想の話ではなく、必要にかられて実態が先に始まっているとも言えるのだ。
人手不足に悩む企業は、募集の網の目を遠方の地までのばす。遠い他県のハローワークを通じて応募してきた人には、企業は旅費を支給するだろう。人口減少に悩む自治体では、いま団塊世代等の移住呼び込みに知恵を絞っているが、きっとそのうち「移転旅費公費負担」なんていう条例を審議するところが出てくるだろう(私の情報不足なだけで、もうあるのかも?)。
社会の必要にこたえて人が移動したくとも、そのコストが高すぎて負担にたえられない現状がある。最初はあきらめるが、そのうち発想の逆転が求められてくる。そう、コストを社会全体で負担してでも、その移動を大量に促した方が、はるかに社会的利益が高まるという理解が広まったときである。
極端な場合を想定してみれば、たとえば被災地への救援に駆けつけるボランティアに、公共交通機関が無料開放されたらどうだろうか。
人を求め、交流を求め、活力を求める。それにこたえてくれるならば、移動コストは社会全体で負担しあう。
旅が、限られた人のぜいたくや特権であった時代。次いで、多くの人にとって余暇の楽しみになった時代。それらを経て、いまわれわれは自覚的なターゲットをもった旅を、社会全体の利益とみなす時代に入ろうとしている。
人材を補い合い、地域を助け合い、見聞を広め合い、活力を引き出し合い、楽しみを増やし合い、さらにあわせて、眠ったままになったかも知れぬお金を広い範囲で使い合う。
日本の社会が質の異なった活力をもち、新たな価値と富を産み出すためには、しかし余りにも移動に要するコストとストレスが大きすぎる。このコストとストレスを低減させるための政策投資を国家レベルで行えば、われわれの社会は必ず磨きなおしたような輝きを発するだろう。子どもたちにも、たくさんの旅をさせられるだろう。
道路は、その全てではないが、重要な政策ツールの一翼をになっている。
社会の、そして人間の、より豊かな発達を促進するためにどうしたらいいのかを論じあうべき場面で、財布の奪い合いに精力を使い果たしていいのか。それって、貧弱すぎやしないか、というのが、国に宛てた私の思いだ。
今日の写真も旅を誘います。愛知県では、地域にある良好な景観を、将来に向けて守り育てていくことを目的に、「この眺めが好き」「ずっとこのままだといいな」と日頃から思っている風景を広く一般に募集し、『美しい愛知づくり景観資源600選』にまとめました。そのうち









