動力のない時代、川の流れを上下する舟運に、上りのときの船曳きが欠かせなかったことは、4月2日「解題その2」で書いたが、では、下りはただ流れにまかせていくだけでよかったかというと、やはりこれもそうではない。

 

 たとえば日本一の林業地帯として知られる奈良県吉野地方。山から伐り出された材木を運ぶのに、吉野川の急流をつかった筏下りが利用されていた。本格的に筏を組んでの流下は、近世以降とされているが、それは危険に満ちたもので、大編成の筏を安全に通すには、川ざらいや岩肌の切削が必要であった。慶長年間にいたって吉野川本流での浚渫工事や基盤岩の開鑿作業の記録が現われるそうだが、もっぱら人力に頼った当時のこと、わずかの区間を進むにも気の遠くなるような難工事を要したろう。それから上流地にいたるまでは、実に100年にわたって、激流のなか、固い岩盤との格闘が繰り広げられたという。

 

 これは言ってみれば、水の流れのなかに、人のための道を敷きつめたようなものではないか。熟達の筏師たちにしか見えないかもしれぬが、とるべきコースはそこしかないという道のことだ。

 

 同じように海には海路があり、空には空路がある。それを外れると途端にリスクが倍増するという路線で、海水や大気をノミで穿ったわけでないが、命と引き換えに見出してきた道である。

 

 むろん道は人間だけの特許品ではない。山奥に入れば「けもの道」に出くわす。見晴るかすサバンナにも、雨季と乾季のかわり目に、草食の大群が決まって通る道すじがある。空には渡り鳥たちの道。

 

 移動行為は動物の生存戦略そのものだから、ときには危険を冒してでも生き抜くための道を探す。それぞれの道は、それぞれの種や類の営みを運ぶので、やがて人間の道は、異文化と出会う旅の道となり、富を生む交易の道となり、巨大な物流の道となり、世界中の情報という情報を瞬時にやりとりする光速の道となった。

 

 より速く、より安全に、より快適に、より効率よく移動したいと欲するのは、生存の欲求そのものとは言えないだろうか。全てに満ち足りた人は、そこにとどまっていて不満も不安もなかろうが、より良き明日を欲する人は、そのための道を求める。

 

 いま道路建設のあり方をめぐって国民的議論がおこり、道路財源の行方が政局をも左右しようとしている。

 

 もちろん「山の湊」にとっても、看過できぬ問題だ。それはわれわれがこれからの時代をどう展望するかにかかわっているからだが、そのためにも、あえて道路の原理から振り返ってみた。

 

明日には、現代の論争問題を考えてみたい。

 

 

作手地区の桜 さてさて、皆さまに親しんでいただいた新城桜淵公園での「桜まつり」、いよいよ13日をもって幕を閉じます。

 桜淵の木々は葉桜へと移ります。が、しかし!新城は広い。今日の写真は作手地区(標高500メートル)の桜です。

作手地区の桜(蕾)

4月4日早朝撮影。ようやく蕾がほころびかけたところ。本市では、まだまだ桜が楽しめます。