私は「山の湊」という言葉の響きが好きだ。湊という字も好ましい。山中にある湊とは、単なる舟運の拠点という直接の意味以上の想像をかきたててくれる。

 

 『天空の城ラピュタ』とかペルーの空中都市マチュ・ピチュとまでいうと飛躍しすぎかもしれないが、何か似たようなイメージを抱くのは私だけだろうか。あるはずのないものがそこにあるのを見たときの驚き。既成概念を打ち破られることの心地よさ。それを造りだした人々への畏敬。

 

 

 古来、海運の港によって栄えた都市はたくさんある。海外交易で蓄えられた富によってまちが栄え、地域文化の華が咲き、産業の振興が後押しされた。近代ヨーロッパの繁栄も、地中海貿易に起源を発する、とは、どの教科書にも書かれているだろう。

 

 もうずいぶん前の話になるが、1978年(昭和53年)のNHK大河ドラマで、城山三郎原作『黄金の日々』が放映された。それまでの大河ドラマが武将を主人公にしたものだったのに、はじめて商人が描かれ、話題を呼んだ。安土桃山時代にルソンに渡り、巨富を得た堺の豪商・呂栄助左衛門(るそん すけざえもん)が主人公である。

 

このなかで堺の町衆の様子が活写されていて、当時とても興味深く観たことを覚えている。信長、秀吉ら武士との緊張関係、鉄砲の調達による独自の武装と町の防衛、代表合議による自治の仕組み、宣教師フロイスの目からみた日本評価などがとくに印象深かった。

 

 海外交易は封建権力に対抗する富をもたらすだけでなく、より大きな精神の自由と価値観の広がりを与えてくれる。今でも多くの日本人が、横浜とか神戸とか長崎とかに抱くある種の憧れは、そこがより自由で広大な世界と直接つながっているように感じるところからきているように思う。

 

 山の湊は、当地方と隣接圏域との交易が主なものであったろうが、それでもこの地でも、町衆による独自の文化がおこり、自治的な仕組みが息づいていただろうことは容易に推察される。豪農、豪商の財力が、城主のそれをはるかに凌駕していたことも。

 

 陸運と舟運のたくみなコントロールが、それを可能にしたのだろうが、その賑わいを「馬の浪に山の湊」とまで言わしめたのは、それを造りだした人々に、より豊かなイマジネーションが備わっていたからに違いない。

 

 ひるがえって現代のわれわれはどうか。海路はむろん持っていないが、誰でもが世界と直接につながることができる。市内の主だった企業で、海外との取引のないところはまずないだろう。市内企業で働いたり、市民として家庭を築いたりする外国人は年々増えている。

 

 もちろん道路もあり、鉄道もあり、通信基盤もある。 

 それなのにわれわれの口の端にのぼってくるのは、愚痴、悲観、あきらめ、やっかみの話題の方が多いのは、どうしたことだろうか。

 山のなかに、人々の目を見張らせるようなまちを造ってはいけないという決まりは、どこにもない。

 現代の山の湊は、まずはわれわれ自身の固定観念を捨てた自由な想像力のなかに築かれねばならないのだ。

 

 さて、新城の桜はいよいよ満開。写真は、昨日の桜淵公園のようすです。どうぞ花見にお出かけください。

桜淵