舟歌、といって思い出されるのは何か。年代にもよるけれど、ある程度歳を重ねた人であれば、八代亜紀の『舟唄』だろうか。哀切な情感がこめられた歌詞にのって、しみじみと歌われる名曲だから、口ずさんだことのある人も大勢おられるだろう。

 もう一つ思い出されるのが、『ボルガの舟歌』である。著作権上、歌詞は引用できないが、リズミカルなかけ声から始まるロシア民謡だ。小学校の頃に習った気がするので、中高年の方なら大体知っているのではないか。

 

 子どものときに覚える歌というのは、その時の知識で理解するのでとんでもないカン違いをしているときがある。うさぎが美味しいとしっかり刷り込まれた『ふるさと』、とんぼに追いかけられる場面が浮かぶ『赤とんぼ』などなど。ボルガの舟歌も、どことなくコミカルな語感と船の歌というイメージから、オールでも漕ぎながら歌う掛け合いのように思っていたものだ。

 

 それがまったくの間違いだと気づいたのは、もうかなりな大人になってから。19世紀ロシアの画家レーピンの名作『ボルガの船曳き』を目にしたときは思わず言葉を失ったが、作品名から『ボルガの舟歌』を連想するのに時間はかからず、そしてじきに、そうかあの舟歌は船曳きの歌だったのかと、得心したことをよく覚えている。

 

  川の流れを上下する舟運には、上っていくときの船曳きが欠かせない。今でも観光川下りなどに乗ると、河畔沿いに船曳きのための道が残っているのを目にすることがある。

 船曳きというのは、想像を絶する重労働だったに違いないのだが、現代のわれわれはえてしてそれを忘れて往時を懐かしむ。牧歌的な過去のシーンの背後には、過酷な記録の数々が潜んでいる。

 

 辞書で「舟歌」を引くと、船を漕ぎながらの船頭歌と船曳きの歌の両方が説明されている。この『山の舟歌』でも、のどかな山の風景を伝えるだけではなく、船曳きの労を励ますような声も張り上げてみたいと思う。

 山湊馬浪

 今日の写真は、江戸期の新城の賑わいを伝える絵だが、右上に「新城街 繁昌之図」と書かれている。


 これがつまり昨日紹介した「山の湊(みなと)」のありさまだが、われわれが市総合計画で「市民(ひと)がつなぐ 山の湊 創造都市」を掲げたのも、そのような意味で、過去へのノスタルジーからではなく、より良き明日をかちとりたいとの渇望に根ざしている。

 

古今東西を問わず、それが厳しい仕事に勤しむ人の心底にあるものだからこそ、山湊馬浪(さんそうばろう)の繁栄に思いを馳せ、いまのわれわれの励みとするのだ。