馬防柵

資料館の周辺には【設楽原の決戦】の多くの史跡が残されています。資料館から歩いて5分程のところに、設楽原を象徴するものの一つとして「馬防柵」があります。

 この「馬防柵」は戦国時代に最強と恐れられていた武田の騎馬軍団に対抗するために信長が考えだした作戦とされています。

 信長が連吾川のすぐ手前に馬防柵を築いたことは、設楽原に一つの巨大なお城を築いたと同じ意味がありました。連合軍はそのお城を守るために、攻めてくる武田の騎馬隊を鉄砲で迎え撃ったのです。

 馬防柵の丸太は新城産ではない?

 連合軍が築いた馬防柵の丸太は、信長が岐阜から設楽原へ兵士に一本ずつ持ち運ばせたとされています。戦国時代の設楽原一帯には今のように大きな木々は少なく人の背丈ほどの小さな樹木ばかりでした。このため馬防柵用の丸太を現地で調達することができなかったのです。

 馬防柵の再現

 設楽原をまもる会が中心となって、馬防柵を再現しています。概ね5年に一度、柵木を造り直しています。
 ぜひ新しくなった馬防柵を見に来て下さい。