徳貞郷に宛てた武田勝頼高札-高札について

設楽町(旧津具村)渡辺氏蔵
武田軍はその軍勢を進めるにあたって、各地にこのような高札を出していきました。武田の軍勢が進軍する上で、その土地の人々に迷惑をかけないための配慮でした。このような高札はこれまで数点が明らかにされています。しかし、それらのほとんどが長篠・設楽原の戦いには直接関係のない資料でした。唯 一、静岡県引佐の神社に天正3年5月6日に出されたものがあったようですが、現在はその所在が分からず、写しが残っているだけでした。
新城の徳定に宛てたものか?
設楽町の旧家で所蔵されてきた武田勝頼の高札を確認しましたところ、勝頼が長篠城を取り囲んだ頃にあたる天正3年4月晦日(末日)に出された高札でした。
印 高札 徳貞郷
嘗手軍勢甲乙人等於彼郷中不可
濫妨狼籍若有違背之族者可被行
厳科者也仍如件
天正三年乙亥卯月晦日
(文の意味)
武田軍勢のすべての者は、徳貞郷(村)にお
いて、乱暴にふるまうことを固く禁止する。
もし、この命令に背くものがあるならば、
厳しく罰を与える。
天正3年己亥4月末日
そして、驚くべきことにこの高札の宛先が徳貞郷となっているのでした。これは新城の徳定にあたるかどうかは、今後の研究課題になります。
登録日: 2008年1月8日 / 更新日: 2008年3月19日








