唐人笠馬標能

- 信長の洋風好み -
常識を打ち破った信長
信長はそれまで常識とされてきたことを次々に打ち破りました。
例えば、設楽原の決戦において、連吾川沿いに馬防柵を築き、大量の火縄銃を用いて、戦国最強といわれていた武田の騎馬軍団を撃退しました。それまで火縄銃は戦いの脇役でした。それを信長は戦いの主役に火縄銃を置き、組織的に活用をしました。
この戦いは武田勝頼にとってみれば、予想すらしなかった戦い方であったでしょう。
ほかにも、安土城の築城や楽市楽座というように、信長は常識に捕らわれることなく、自分が良いと思ったことはどんどん採り入れていきました。
洋風を好んだ信長
当時盛んになりつつあった西洋との交流の中で、その知識を吸収していき、好んで洋風なものを身につけるようになりました。 【長篠・設楽原合戦図屏風】の中にも、その様子を見ることかできます。信長が身につけるかぶとが、展示品のようにいかにも洋風のものとして描かれているのです。展示してあります唐人笠馬標の由来、経緯はわかっていませんが、そのような信長を象徴するものとして見ることができます。馬標とは戦場で大将の位置が家臣から分かるように槍の先につけて立てた目印です。
登録日: 2008年1月8日 / 更新日: 2008年3月19日









