4月24日付け『職員給与』の続きを少し。

 

  市職員の給与問題にのぞむにあたっての原則について、私なりの考えを4つにまとめたことを書いた。 繰り返すと、 第1. 職員の給与は労働の対価である。 第2. 勤労者の平均的所得水準から大きくかい離することは許されない。 第3. 地域社会の経済生活水準からみて特殊な層を構成する結果となることも許されない。 第4. 公務労働(地方政府)をになう人材を確保・育成・承継するに足る給与体系でなければならない。 というもの。 ごく当たり前のことのように思われるかもしれないが、なぜこれを強調するのか、簡単に触れておきたい。

 

  よく民間給与と公務員給与を比較して、民間では利益が上がったかどうかという明確な基準があるが、公務員ではあいまいだという見方がある。公務員のなかにもこうした論理で、公共団体での仕事評価の難しさを指摘する人がいる。

 

  「公務労働特殊論」だ。その背景には2つの要因があって、一つは公務員の人件費の財源は税金だという特殊性。もう一つは、民間でいう成果評価(利益の増大)にあたるものが、公共サービスではなかなか見出しがたいという特殊性。

 

  もちろんこれはある種の特殊性だが、この特殊性を強調しすぎると、公務員の給与は、結局公務員の「身分」に付着したものだという変な理屈に陥っていく。仕事の評価ではなく、身分の特殊性が給与の体系をつくる、という考え方で、「税金で雇われてるんだから大きな顔をするな」と、公務員を攻撃するときも、「公共サービスは利益を出すことが目的ではないんだから」と、公務員がお互いの身内をかばいあうときも、ともに同じ理屈のうえで物を言い合っている場合が多い。

 

  「労働の対価」というのは、そんなに難しい話ではなく、その労働(仕事)を提供し続けることを可能にする報酬、のことで、世間的には、同水準の能力を雇用する場合に必要とされる相場、と置きかえてもいい。

 

  この点では、公務も民間も変わりなく、その生活給・能力給を支払うのが雇用主の責任。それは、給与費の原資が税であっても変わりない。

 

  ではその労働の成果をどう評価し、給与体系に反映させるか。

 

  これも大きなところでは、そんなに難しい話ではない。たとえば市には、第1次総合計画があり、そこにまちづくりの向こう10年間の目標、中期基本計画や短期実施計画が明示されている。この計画をよりどころに施策ごと、さまざまな部門別計画も策定されている。

 

  本市の場合をとれば、実施計画ごとに細かな数値目標も定められ、最終的には政策目標ごとの「市民満足度」をもって成果評価を行うことが明記されている。

 

  中央・地方問わず政府の政策計画が、えてしてただの計画文書でおわり、「絵に描いた餅」とヤユされてきたのは、必要な財源や期限や検証基準が不明確にされていたことによっているが、それ以上に問題なのは、「誰も責任をとらない」計画になるケースが多かったからだ。

 

  検証可能の目標がありさえすれば、その目標が達成されたかどうかが、仕事の評価を決めるだろう。そうすれば目標達成のために、いかにより良く働くか、を多くの人が問い始めるだろう。

 

    公務労働は、検証可能・評価可能なので、根拠なき特殊性論に迷い込んではならないと思う。