3月末から4月に入るころ、各地で春祭りが行われる。私の住む地区もつい先日春の大祭でにぎわった。祭りの前日各戸に準備の役が割り振られ、お宮に集まっていろいろな仕事をもらう。

 

 普段は地元の集まりにあまり出られないが、今年は祭礼準備に参加することができた。榊の玉ぐしをつくったり、注連縄をはったりに、ご近所同士ワイワイガヤガヤしながら精を出した。こういう時間はホントに楽しいですね。

 

 たまたまふらりと訪れた若いカップル、名古屋から観光で来たお二人だが、おじさんたちが寄ってたかって盛り上げて、「何ごとも体験、体験。体験学習ね」とか言いながら、一緒に手伝わしてしまったこともあって、余計にぎやかなひと時となった。

 

 そのなかの雑談で、ある奥さんの話。

 

 「嫁が言うには、不景気のせいか、学校の授業参観なんかに男の人が結構来てるらしい。会社行ってもやることないからね。」

 

 そこから男衆が、そりゃそうだろ、うちは3割減産、いやうちは週の半分休みと、不景気ぶりの張り合いみたいなことになったのだが、さきの奥さんの話には、なるほどねぇと思わせてくれるものがあった。

 

 人々の大きな行動変化のきっかけになるのは、えてしてこうした時期が多い。いままで忙しさにかまけて学校はお母さんまかせだったお父さん方が、ひまだし、たまには行ってみるか、と、学校に出かける。地域の体育行事や文化活動に顔を出す。子どもと散歩に出る。などなど。

 

 経済環境はいずれ好転して、また仕事に追われる毎日が戻ってくるだろうが、この時に覚えた楽しみや、あるいは社会活動へのかかわりは、何らかの形で残ったり、生かされたりしていくもの。

 

 大きな意味では、国民の文化を変える契機にさえなる。

 

 たとえば。本市以北には、たくさんの伝統芸能が伝わっているが、そのなかでも有名な「花祭り」。東栄町、豊根村、設楽町などに残るもので、国の重要無形文化財に指定され、世界文化遺産登録をめざしている。

 

 約700年前からの祭りといわれているが、もちろん長い歴史のなかでは幾たびかの中断の危機があった。

 

 今の形を大きく復活させたのは、戦前「昭和恐慌」時代といわれる。それ以前から柳田國男はじめ民俗学の大家たちに高く評価されてきた下地があってのことだが、要は不況でとりわけ山村には仕事が少ない、元気がなくなる、とくに冬の季節、それならばと、中心になる篤志家たちが呼びかけて、花祭り再生・継承の動きがつくられていったという。

 

 話は飛ぶが、日本中にボランティア活動を一挙に広げたのは阪神淡路大震災や、ナホトカ号の重油流出事故だった。いま「エコマネー」とか「地域通貨」とかの形でわれわれにもなじみ深くなっている新しい交換手段も、1980年代にカナダ北部で鉱山閉鎖、不景気の波が押し寄せたときに生み出されたもの。

 

 新しい状況に直面して、何とかやりくりする方策を考え、隣人同士を元気づけることなど試みながら、いろいろな知恵が生まれてきただろう。

 

 人が自分を変えようとするとき、何から始めるか。そう、時間の使い方を変える。

 

 一度に大勢の人間が、時間の使い方を変えざるをえない環境におかれたとき、次の生活、習慣、行動、文化、そして社会諸関係が芽生えだす。

 

 われわれ日本国民は、「いま」を通って何を生み出していこうとしているのか。

 皆さん、前を向いて進んでいこう。

 


 

祭りつながりで。

旧鳳来町が、姉妹提携を続けてきた東浦町。ゆかりの於大の方が鳳来寺に祈願して授かったのが、後の徳川家康。という何とも壮大なご縁だ。

その東浦町で、4月18日(土曜日)「於大まつり」が盛大に開催された。私は他の行事であいにく参加できなかったが、応募市民の方25人ほどが一緒に出向かれたという。

そのときの写真が送られてきました。

ゲート

 

まずはゲート。

 

 

 

 

 

 

 

 

みち

 

八重桜が植えられた通称

「於大のみち」

 

ちょっと見にくいですが、ここを於大行列が。

 

 

 

集合

 

 於大行列はこの皆さん。

 

 

 

 

 

 

五平餅

 

わが方からは商工会が中心になってブース出店。 

五平餅は毎年大人気。

 

 

 

 

 

足湯

 

湯谷温泉からの足湯も喜ばれました。

 

新城市ののぼり旗

 

 

 

 

 

 

 

乾坤院

 

於大の方ゆかりの乾坤院