「全員野球」という言葉があるように、まちづくりも全員プレーでやれたら理想であろう。すべての国民が主権者として政治や地域形成に参画したとしたら、世の中はずいぶん変わったものになるだろう。

 

 われわれが制定をめざす「市民自治基本条例」も、その理念としては市民全員のまちづくりルールを目標とする。

 

 でもそんなことはありえないよ、理想論にとどまるだろう、というのが普通の考え方。現実も、市民参加、ワークショップ、パブリックコメントなど多様な手法でより多くの協働の場づくりに励むが、なかなか従来の壁を越えられないことが多い。

 

 けれども自治条例のようなまちづくりのルールを定めるためには、「すべての市民がまちづくりの主人公である・すべての市民がまちづくりの参加者である」という前提に立つべきだし、「すべての市民がより良い新城市を望んでいる」という前提に立つべきだ。

 

 私はそう思う。

 

 この議論になると、私はこのようにお答えしている。

 

 たしかにすべての市民が地域づくりにかかわっているわけではない。しかし、いまは関心のない人でも、たとえば自分の子どもの通学路の安全が気になる、たとえば老親の介護で通所施設の開設を望む、たとえば地区に通る道路のことで寄り合いに出る、周囲に推されて区の役員になる、などなどをきっかけに、地域社会とのかかわりが出てこないとは限らない。いや長い人生のなかで、そんな機会がまったくないという人の方が少数だろう。

 

 すべての市民がまちづくりの主体者、というのは、まちづくりへの参加を市民に強制することでもないし、そうあるべきとの建て前を宣言することでもない。

 

 そうではなくて、まちづくりにかかわる必要が出てきたときに、すべての市民が参加しやすく、それによって不当な扱いを受けることもなく、またいろいろな立場の人がお互いを尊重しあって「気持ちのよいまちづくり」ができるように、あらかじめ条件を整え、ルールを定めておくことが大切なのだ。

 

 自治のまちづくり、議論を深めていきたい。

 


 

富士山

 東京出張の車窓から。

 

 4月10日