天地の入れ換え
市町村組織が国の末端機構という位置づけの時代とは、変わらねばならないはずだ。地方公務員の給与制度が、国家公務員に準じているのみであれば、職員の意識もそれになじみ、それぞれの地域状況や市民感覚とのズレが出てくることもある。
昨日のブログ『原始 女性は・・・』の最後に、「自治基本条例」にふれて、地方公共団体の自治権は何に由来するのかを問題にした。
従来の支配的な考え方は、国の権限を分与されたもの、ということ。かんたんに言えば「のれん分け」を受けた分社のようだから、給与も本社を基準にしようということだ。
この関係を新しく読み替えてみたらどうだろうか。
そもそも国の権限自体、地域がその権限を一部預けたことによって成り立っている、そう規定しなおすことだ。
わが国の統治制度は、根幹において主権在民主義で成り立っている。主権者である国民がその代表者を選び、その代表が政府機構をコントロールするのである。
で、いま日本にも「地方政府」という概念が出てきた。住民に身近な公共サービスはもっとも身近な政府が、これを主に担う。これまでは「政府」とは国の機関で、市町村はあくまでも「地方公共団体」の位置づけ。これを住民に一番近接した「政府」にまでして、基本的なことはここで決し、担えるようにしよう―これが「地方政府」論。
地域共同社会のなかでの住民生活、これを最上位におき、ここからあらゆる統治権力が発生するが、その共同性(地域自治)のなかだけでは解決しにくいことについてまず地方政府が預かり、その枠ではおさまらないことを中央政府が預かる。
すべてのことをこの関係式で読み替えてみる。現状の権限配分がそれですぐに変わるわけではないが、自治活動の正統性・優越性を公式に確定するのである。
「地方分権のテーマは分かりにくい」という声をよく聞く。国と地方との権限争いや財源紛争のように見えて、それはそれでやってもらうのは構わないが、住民からみればどっちがやろうがうまくやってくれればいいわけで、いま一つピンとこない、と。
これが多くの人の実感なことも間違いないだろう。
自治と分権の改革を、それをめぐる幾多の議論を、切実でホットなテーマとして市民生活のなかに押し広げていくことができるのかどうか。われわれの力量が問われている。
これからのまちづくりを決める土台中の土台なのだから。
さくら2題。
JR新城駅前
市役所・体育館前









